【学院生の活躍】「日本医科大学進学者2名に聞く」インタビュー 33期理事 山口真一

                                                                 1982(昭57)卒 33期 山口真一(副理事長兼広報委員)  B組  政経

「日本医科大学進学者2名に聞く」 

 2020年秋、高等学院から日本医科大学への指定校推薦制度が設置され、2名の方が学院出身として初めて進学します。73期の同窓会会員となる宮川諒君と田熊悠基君に、去る3月4日にWEBインタビューを行いました。

 これは、学院史上初めて、早稲田以外の大学への推薦が行われるという意味でも、その推薦先が医学部であるという意味でも、革新的な変化といえます。進学者2名は、そのフロンティアとしてふさわしい資質を備えていて、新しい時代の到来を感じさせる生徒たちでした。当日、インタビューに参加したのは、進学者2名とその保護者2名、そして学院長武沢護先生、2人の生徒をよく知る榎本隆之先生(34期 国語科)です。

早稲田大学と日本医科大学の提携について
(山口)今回、学院から日本医科大学へ2名の生徒が進学するとのことですが、これは、どのような経緯で制度化さ   れたものですか?
(榎本)2020年7月に、早稲田大学と日本医科大学が提携するという話が発表されました。これは、吸収合併では なく、日本医科大学と早稲田大学が「静かに」連携するものです。日本医科大学の医学を早稲田大学の理学・工学と連携させることによって、日本医科大学の強みと早稲田大学の強み(たとえばAI分野、ロボット分野、ナノテクノロジーなど)を相互に提供していく試みです。早稲田大学には医学部が存在せず、慶應義塾大学には医学部が存在する、という違いはみなさんご存じの通りです。医学というのは学術ジャーナルのimpact factorが高いジャンルで(およそ「10」~「20」あたりが多くて上は「50」とか「70」まで)、それに比べて理学は概ね「7」程度、政治学になると「3」程度のimpact factorしかありません。早稲田大学がその得意な分野を活かして、日本の医学の在り方を変えることに貢献していくためのプロセスのひとつとして、今回の提携があります。一方、日本医科大学は医学部だけの単科大学で、研究力はナンバーワンといっていい実力をもっています。設立は1876年と、東京専門学校より6年古く、慈恵医大や慶應義塾よりも古い歴史があります。この長い歴史の中で、日本医科大学は一度も指定校推薦をしたことがありませんでした。つまりすべての学生を一般入試で募集していたのです。今回が、初めての指定校推薦設置で、具体的には学院から2名、本庄から2名、早実から2名を受け入れることで合意しました。ただ、じつは、この制度ができる前、2020年4月に学院から1名が一般入試で日本医科大学に入学している、という縁もありました。

高等学院からはじめての指定校推薦 (求められる人物像・意義・選抜方法)
(山口)では、日本医科大学が早稲田の付属係属校に求めているのは、どういう学生なのでしょうか?
(武沢)榎本さんが言われたように、早稲田大学と日本医科大学との提携には、研究教育において医学・理学・工学を連携するという側面と、付属係属校から入学者を推薦するという側面があります。それは、日本医科大学にとっては、より優秀な学生を入れたいという意図の現われであり、ある意味英断であったと思われます。その背景には日本医科大学の弦間学長の危機意識があるのではないかと思います。つまり、学生募集において他大(国公私立の)医学部から遅れをとるかもしれないという危機感です。それはたんに偏差値のことではありません。「偏差値が高いだけで、医学そのものにあまり興味関心がない学生」が集まることへの危機感、といっていいでしょう。日本医科大学は、たんに入試学力の高い学生ではなく、基礎医学臨床医学にもっと関心のある学生がほしいと考えているわけです。だから、初めての指定校推薦を、進学校ではないところ、つまり早稲田の付属係属校に指定したと理解しています。全人格的な教育をしている学院、文理融合した教育をしている早稲田への期待があったといえます。まさにこうした期待に応える人材が、今回の2人です。日本医科大学にしてみれば、毎年の入学定員約120名のうち6名を早稲田の付属係属校に割り当てること、つまり入学者の5%を早稲田から採るということは、かなり大きい変化といえます。今回、君たち2人が日本医科大学に進学したら、2人には学院のフロンティアとしてやってほしいし、その経験を後輩にフィードバックする活動、たとえば後輩学院生のモチベーションを高めるような話をしに来るとか、日本医科大学のキャンパスツアーをするとかをやってほしいと思います。

初年度推薦者2名へのインタビュー
(山口)では、今回の日本医科大学進学者である宮川諒君と田熊悠基君にお話を聞かせていただきましょう。まず始めに伺いたいのは、お2人が学院に入学したときにはこの指定校推薦制度は無かったわけですが、2020年、つまりお2人が高校2年生の秋に、この推薦制度の話を初めて聞いたときに、どういう気持ちだったかを教えてください。

(宮川)私は学院中学部出身なので、学院に6年間在籍しました。中学生の頃から生物の研究に関心を持ち始めて、高校3年間、生物の研究をして、それを大学でも続けたいと思っていました。そこに高2の秋に日本医科大学の話が急に出てきたわけですが、そのときすでに私は「初級バイオ技術者」資格を持っていて、その先に「中級バイオ技術者」「上級バイオ技術者」を目指していました。また、身体の構造やケガや病気に関する検定試験「スポーツ医学検定」の3級と2級にもチャレンジしていましたので、自分がやっている研究の延長線上に医学に接続していく要素があり、自然と受け入れることができました。日本医科大学の大学見学の機会に具体的なカリキュラムを知り、進路として考えるようになりました。いまは巡り合わせが良かったと思います。縁があって最終的にこうなりました。
(田熊)私も学院中学部出身なので、学院に6年間在籍しました。早稲田大学には医学部がないので、もともと考えてはいませんでした。実は中2の頃、サッカー部の大会で足の大けがをして、手術をしました。右膝靭帯をやられて、骨折も複雑なもので、サッカー部への復帰は無理だろうと言われました。ちょうど、サッカーを頑張ろうと思っていたところだったので、ものすごくショックで、リハビリもはじめはやる気が出なくて、辛い日が続きました。結局全治1年もかかったのですが、入院中は毎日、医師・看護師・理学療法士などにお世話になります。それは普通の中学生が目にすることのない医療現場だったわけで、その人たちのおかげでもう一度試合に出たいと思う気持ちが出てくるようになりました。長期のリハビリを頑張ったおかげで、サッカーの引退試合には出ることができ、その瞬間、医師・看護師・理学療法士の偉大さに気づきました。そんなこともあって、自分の進路として、外部受験で医学部を目指すということも少し考えていたので、今回の日本医科大学の指定校推薦の話は魅力的な選択肢に映りました。結果的に、今回挑戦してよかったと思います。
(山口)学院内での募集・選抜は、どうように行われたのでしょうか?
(武沢)公募です。通常の進学業務に先立って、日本医科大学の募集・選抜をしました。まず、4月に日本医科大学のオープンキャンパスと説明会がありました。学院からは10名くらいが参加して、本庄学院と早実からも関心のある生徒が来ました。その後、9月に募集を開始し、学院内の選抜は書類と面接で行い、定員の2名に絞り込んだ後、10月に日本医科大学に推薦して、あちらで小論文と面接がありました。
(山口)学院内での応募は何人くらいいたのですか?
(武沢)応募の細かいことは公表していませんが、定員の2名に対して、ある程度の人数の応募がありました。おもに、バイオ分野に関心があり、進路としても生物関連を志望していた生徒たちです。
(山口)2人の学院生活についてもっと聞きたいと思います。いまの学院にはいろいろなチャンスがありますが、2人にとって学院はどういうところで、学院らしさってどういうものだと感じていますか? 学院は居心地の良いところだったのかとか、学院で良かったことについて教えてください。
(田熊)2年前、高1の夏休みに参加したシアトル研修は思い出深いです。このとき初めてできたプログラムで、2週間の語学研修に、ホームステイ、そして現地高校生との交流、シアトルの街中探索、シアトルマリナーズの球場見学と試合観戦、ワシントン大学の見学、そしてマイクロソフト本社でのプレゼンコンテストなどが組み合わされた魅力的な2週間でした。
(山口)日本では経験できないことばかりの濃い内容ですね。コロナのために、中断されているようですが、ぜひ復活してほしいですね。
(宮川)学院は理系の生徒でも文系科目が多い学校です。学院に個性的な授業がたくさんあったおかげで、医学部1年の教養課程、法学・哲学などがありますが、おそらく苦手意識なく取り組めると思います。
(山口)学院OBのいろいろな世代から、同じことをよく聞きますね。学際的であることとか、奇想天外な専門性とかが、学院のいいところだということが、各世代から異口同音に聞こえてきます。高校を卒業して、大学で専門課程に入るにあたって、そうした柔軟性が役に立つのだと思います。
(山口)ところで、2人は、進学先として、医学部以外はどこを考えていたのですか?
(宮川)私はもともと生物の研究をやっていたので、先進理工学部の生命医科学科か、教育学部の生物学専修に進みたいと考えていました。仮に、そこに進んでいたとしても、進学後に医学部に転じていた可能性もあります。たとえば、生命医科学科では奈良県立医科大学の医学部に転入できる仕組みがありますし、先輩の中には医学に近い研究をしている人もいますので、そういう進路に行っていたかもしれません。
(田熊)私はもともと公認会計士を目指そうと思っていました。ただ、理系科目が好きだったので理系に行きました。生物も好きでした。生命医科学か生命化学のどちらかに進みたいと考えていました。
(山口)2人は在学中に部活は何をやっていましたか?
(宮川)私は理科部生物班とロシア語同好会と釣り同好会でした。
(山口)私のいまの仕事はクラシック音楽関連ですが、音楽とあの国のつながりは重要なポイントになっています。学院から日本医科大学への第1世代としてユニークですね。まさに新しい時代が来ていると思いますし、この混沌とした世の中で、学院生がどう活躍していくのかと考えるとワクワクします。
(田熊)私はバドミントン部でした。指導者としてOBの大学生が教えてくれることもあります。

推薦者の保護者からひとこと
(山口)それではこのあたりで、保護者の方にも少しお話を聞かせてください。学院から日本医科大学に進学する第1世代の保護者として、今回の推薦をどのように捉えていらっしゃいますか?
(田熊 母)さきほど本人が申したように、息子は中2の時にサッカーの大会で全治1年の大けがをしました。もう走ることができなくなるかもしれない、障害が残るかもしれないという大きなけがでした。とくに骨折は前例のないタイプのもので、回復する見込みがわからないものでした。その日から本人も落ち込んで、サッカーできなくなるかもしれないというショックで精神的にも参ってしまいました。長いリハビリ期間、現場の医師・看護師・理学療法士に支えていただいたおかげで、結果的にその後無事に過ごすことができました。若かったので回復が早かったのかもしれません。リハビリに取り組む気持ちを支えてもらったこと、そして結果的に普通に走れるようにまでなったことで、本人は医療従事者への大きな畏敬を感じているでしょうし、医師が患者に寄り添うところを目の当たりにして、医療を身近に感じるようになったのだと思います。進学先として医学部も視野にあったので、そこに日本医科大学の話が出てきたときには、自然に選択肢のひとつになりました。
(宮川)息子は生物の研究を地道にコツコツしていました。第1志望は生命医科学科でしたが、そこに突然医学部という選択肢が現れました。家族としては本人の希望に反対することはありませんでした。自分で選択した道ですし。彼の中で臨床医学と基礎研究、いまは半々であろうと思います。大学から研修にかけていろいろな経験をして、興味のある分野に進んでほしいと思っています。

新たな学院の伝統の作り手として
(山口)学院はこれまで「高大連携」をひとつの柱にしてきました。この高大の「大」には、今後は日本医科大学も含まれることになりますね。学院にとってはチャンスが広がったと感じています。昨今のテレビドラマではドクターものをよく見かけますが、医者の仕事が身近なものになってきている今日、お2人には早稲田のパイオニアとして頑張ってほしいと思います。ところで、みなさんは学院を卒業すると同窓会会員になります。学院同窓会の会員、つまり卒業生は4万人もいます。その4万人のネットワークは学院の財産です。そういう先輩たちに、お2人も今後知り合うことがあるでしょう。学院の同窓生ネットワークをぜひ大事にしてほしいです。そして、お2人から広がる医学のネットワークが、学院の次世代の財産になっていくでしょう。
(武沢)君たちは、早稲田大学高等学院のOBの一員として、後輩に医学への道を紹介するフロンティア・パイオニアになってほしい。医師の仕事は人間の生命を守るという意味で尊いといえます。
(宮川)ありがとうございます。これから経験していくだろうしそれをふまえて学ぶことがあるだろうと思います。臨床医にせよ基礎研究にせよ生命を守ることに変わりはないと思うので頑張っていこうと思います。
(田熊)ありがとうございます。学院での経験を活かして大学でも、頑張りたいと思います。
(山口)専門性を高めるのはもちろんですが、人間の幅を広げるという意味で、専門外の勉強や趣味も大切にしてほしいですね。私自身は、20数年さまざまな職種を体験した後、いまは、クラシック音楽の世界を支援する仕事をしています。実はこれは、学院と大学で趣味としてやっていたことに、巡り巡って戻ってきたようなものです。若い頃に幅を広げることが、将来必ずどこかで活きてきます。クラシックもいいですがジャズもおすすめです。
(榎本)学院における勉強の負荷を10と例えると、医学部における勉強の負荷は300くらいかもしれませんが、この2人にはキャパがあるので、300をこなしたうえで、さらに人間性の幅を広げ人格を陶冶するための活動をもう300やってほしいと思っています。それが、日本医科大学が早稲田に求める人材であろうと思います。

(注釈)
文中に登場する宮川諒君は、「土壌線虫の実験系と行動解析」に関する研究により、2021年8月に「21世紀の中高生による国際科学技術フォーラム(SKYSEF2021)」でExcellence Awardを受賞、さらに2021年10月に読売新聞社「第65回日本学生科学賞 奨励賞」を受賞しました。その一部は同窓会メールマガジンバックナンバーで紹介しています。
資格として、日本で最も歴史の長いバイオ技術関連の資格試験である「初級バイオ技術者資格」(2019年8月)、「中級バイオ技術者資格」(2021年1月)、さらに高校生として初めて「上級バイオ技術者資格」(2022年1月)を、スポーツ医学に関わる知識(身体のつくり、ケガや病気)を問う検定試験「スポーツ医学検定3級」(2021年6月)、「スポーツ医学検定2級」(2021年6月)を取得しています。