【OBの近況】 「天翔けるラッパ吹きたち・・早稲田の杜金管合奏団のことなど」 21期 山瀬幸雄

1970(S45)卒 21期 G組 応化 山瀬幸雄

翔けるラッパ吹きたち・・早稲田の杜金管合奏団のことなど 

  

早稲田の杜金管合奏団(ワセキン)で共に演奏している学院OBの面々。第5回奥州市特別演奏会を開催したZホール(奥州市)にて。写真左より北村和弘(昭和50年卒)、著者山瀬(昭和45年卒)、川俣裕章(昭和45年卒)、辻村憲治(昭和49年卒)、矢澤元(昭和51年卒)、酒井忠雄(昭和42年卒)

 

 また来てしまいました。大船渡、奥州市・・これで5回目です。東日本大震災の津波で、大きな被害を受けた三陸海岸の大船渡市や陸前高田市の復興を願って、震災のあった2011年から隔年で特別演奏会を開催し、保育園児との交流、中学・高校吹奏楽部のワークショップなどを行っています。初回は瓦礫の残る、いたましい大船渡(後輩の楽器店も津波で流失)でしたが、回を重ねるごとに復興が進んで、少しずつ賑わいを取り戻してきました。陸前高田も2度目になりますが、立派な防潮堤ができて、商店や住居は11mも嵩上げされた台地に作られています。こちらは住民が戻ってこないのが問題と聞いています。

 私たち「早稲田の杜金管合奏団」通称ワセキンは20年前に結成された、オーケストラの金管楽器による合奏団です。学院ウインドアンサンブル出身者も71才のトロンボーン奏者を筆頭に6人を数えます。もともとは1970年代に早稲田大学交響楽団で演奏していたメンバーが、いろいろな転機を経て、またラッパでも吹こうか・・と集まったのですが、次第に早稲田にこだわらず増殖を重ね、今ではオーケストラの3つ分以上の編成となっています。平均年齢は60歳をゆうに超えています。同じ金管合奏でも英国式ブラスバンドとは、ちょっと違ったサウンドで、演奏する曲目もオーケストラ曲から映画音楽、歌謡曲まで、幅広いレパートリーで楽しんでいただいております。先日も稲門音楽祭でご披露させていただきました。

 こうした活動から、一昨年と今年「ウィーン・フィル&サントリー音楽復興祈念賞」を頂きました。記念楯には「日本の音楽文化を活性化し、被災地または日本全国に活力を与える活動・・」 そんな大層なことをしている気はないのですが・・

 

ロシア・ウラジオストクの空港にて

 岩手への演奏旅行は一年おきです。その間の年はというとウラジオストクと近郊都市への演奏旅行を2回行いました。当団チューバ吹きの堪能なロシア語に助けられ、地元の愛唱歌 ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」が大受けしたり、ロシア人聴衆の前で臆面もなくロシアの大作曲家チャイコフスキーの「白鳥の湖」を演奏して国際交流を果たしています。更にその前はというと、2006年から6年に亘ってマレーシア・ペナン島へ演奏旅行に出かけ、世界遺産の華僑のお屋敷「ブルーマンション」を宿舎として、レセプションをしたり小演奏会をやったり・・クアラルンプールの国立歌劇場でも演奏しました。

 演奏旅行ごとに「忘れ物選手権」が開催されます。演奏はしないけれどというサポーターも「忘れ物選手権」の対象者なのです。今回も公表を憚るような、忘れ物が多数ありました。

 私事になりますが、ラッパを始めて56年・・学院時代はウインドアンサンブルでトランペットを吹き、1969年の吹奏楽コンクール東京本戦で2位(3位かな?)になりました。

マレーシア・ペナン演奏旅行にて

 その年からオーケストラに入り、後にスコットランドで開催された青少年国際音楽祭で若き日のサイモン・ラトル(ウィーン、ベルリン・フィルの常任からは降りてしまったけれど、その時の彼はまだ19歳!)に指揮してもらいました。

 単身赴任先の千葉から決死の覚悟で入った神奈川県初の金管バンド・・その練習帰りの車の中で携帯が鳴ります。「As管のポストホルン2本作れ!」、「OKだけれど、吹かないよ」・・返事をして練習場に楽器を持参すると案の定、演奏者が居ない・・「図られた・・!」とそのままメンバーに組み入れられてしまいました。

 ワセキン20年の歴史にも何か重みが感じられるようになったこの頃ですが、相変わらず寸劇付きトロンボーン・アンサンブル、合奏よりも振り付けのほうに熱が入っています。

 重病人は発生しますが、健気に生き永らえているのがワセキンの誇り・・果たしてこのアンサンブルがあと何年続くでしょうか?

 

http://www5b.biglobe.ne.jp/~musica/w-king/

第20回定期演奏会 2020年2月23日(日)午後 日本橋公会堂

第21回定期演奏会 2021年2月21日(日)午後 日本橋公会堂(鬼があきれている?)