【海外便り】「ネパール初の道路トンネルを建設中!!」 33期 田中重明

1982年 (S57)卒 33期 田中重明 B組 土木

ネパール初の道路トンネルを建設中!!

 はじめまして、33期の田中重明と申します。現在ネパールのカトマンズにおいて、同国で初めての道路トンネルの建設に従事しています。このたびは、学院時代の同じクラスで同窓会メールマガジン担当理事の山口真一さんからの依頼があり海外便りとして拙文を送らせていただきました。このネパールにたどり着くまでの小職の道のりをご紹介しながら、小職が感じたことなどをお伝えできればと思います。

写真1 西側トンネル坑口

1.自己紹介

自宅が石神井であったため、学院には自転車通学でした。ラグビー部に所属して

いたため放課後は東伏見のグランドまで重い足取りで自転車を漕ぎ、暗くなった富士街道を疲れ果てて帰宅する毎日でした。還暦後のいまでもラグビー部やB組の仲間との交流は続き感謝しています。

 ネクタイをしたくない、通勤電車に乗りたくない、大きな物を作ってみたいという単純な希望から大学では土木工学科へ進学し、卒業後は建設会社へ就職しました。

 

2.海外工事を渡り歩いて

 建設会社で土木設計や国内の建設現場で工事管理の仕事に従事していたところ、 40歳を前にして海外赴任の話が飛び込んできました。仕事に少し自信がついてきた頃でもあり国内での進路を想像し、英語も不得意だった自分にとって海外赴任は不安でしかなかったことを覚えています。それでも赴任先は専門のトンネル技術が生かせる現場でもあったので挑戦してみることに。(実際は断ることは出来ず・・)

 海外初めての赴任地はインドの山奥の地下発電所、塀に囲まれたキャンプ生活やインド人相手のストレスの多い仕事で半年もすると体重は10㎏も減っていました。性善説で仕事をしていた国内と、何でも契約を基本としてビジネスを遂行する業務スタイルに最初は戸惑いを感じていました。しかし時が経つにつれてそのスタイルにも慣れ、3年後の帰任時には元の体重より増えてしまったのも事実です。その後は、シリア、パキスタン、スリランカやベトナムで海外現場を経験し、インドネシアでは営業所勤務などまさに“地図に残る仕事”に関わることができたことは自分の人生のとって幸運であったと思います。

 

3.ネパールでの道路工事

 定年が見えてきた頃に建設コンサルタントへ転職し、現在のネパールのトンネル工事に従事することとなりました。

写真2 トンネルの貫通式

ネパールは、北側に中国、南側はインドと両大国の間に位置しています。国土の80%がヒマラヤの山岳地形からなり、険しい山々に囲まれる首都カトマンズと他の主要都市との人・物の流れは限られています。当工事はその主要な物流ルートにおいて、急峻な地形で急カーブや斜面崩壊の危険が多い峠をトンネルにより安全で利便性の高い道路を確保しようとするものです。インドプレートに揉まれた難しい地質におけるトンネル掘削は苦労が多いものでしたが、昨年の4月には無事貫通し、現在10月の完成に向けて工事を急いでいるところです。

 

4.ネパール日本人会の活動を通じて

 海外で暮らす在留邦人を中心に日本人会のある国が多くあります。ネパールの日本人会の会員数は140人程度と比較的小規模ですが、逆にアットホームな手づくり感満載の活動をしています。

写真3 日本人会主催 盆踊り大会

昨年より日本人会の会長と合わせて補習授業校の校長先生も拝命し、毎週土曜日には子供たちから元気をもらっているところです。運動会や忘年会、餅つき大会など各種行事を通じて日本文化の紹介や、両国の友好にも貢献できればと思っています。夏の盆踊り大会ではヨーヨー釣りやスイカ割りもあり、浴衣の貸出しはネパールの若者に毎年好評です。

 

5.世界に広がる早稲田のネットワーク

 少し時間に余裕が出てきたころから、会社以外の方とお付き合いが広がってくると海外で仕事をされている早稲田出身の方がとても多いことに驚きました。ハノイでは遠くのレストラン個室から「都の西北」が聞こえてきたり、インドネシアでは真剣勝負の早慶ゴルフコンペがあり、ネパールで国連関係の方とお話をしているとなぜか早稲田出身、土木学会の視察団の中には土木工学科の同期がいて35年ぶりの再会、そして仕事で出張中の学院B組の仲間と会うこともできました。カトマンズの宿舎で3つ年上の出張者と食事中に話をしていたら「石神井の出身ならもしかして学院? おれC組!」と突然言われたことも・・。

 

 最後に20年以上にわたり海外の単身赴任の間、留守宅で子供の成長を見守り、現在は親の介護にも尽くしてくれている嫁さんに感謝を伝え、「海外便り」とさせていただきます。最後まで読んでいただきありがとうございました。