【同期同窓会開催】 「10年後また会いましょう」66期 佐藤悠

2015年(平成27)卒 66期 佐藤悠 L組 法

10年後また会いましょう!

学院を卒業して10年が経った。

少しでもこの節目を大切にしたくて、僕らはもう一度集まった。

先日、第66期卒業生の同窓会を開催した。総勢215名の卒業生、そして2名の先生方に参加して頂いた。

始まりは2024年初。たまたま近所に住んでいた秋葉と再会した際に、酒を飲みながら昔話に花を咲かせた。同級生、当時の先生方、あの頃の学院の風景、変わっているとか変わっていないとか、昔話は日を超えるまで続いた。学院生と話す時に感じる独特な居心地の良さ。暫く感じていなかったから、とても懐かしく感じた。そして、心に浮かんだ、「いま集まったら“なんか面白そう”」。好奇心が芽生えた僕はもう駄目だ、経験するまで止まれない性格だ。

思い返せば学院時代もそうだった。「女装した学院生が躍る企画を学院祭でやったら“なんか面白そう”」「社会人と学院生が交流するイベントを企画したら“なんか面白そう”」。こんな漠然とした好奇心から「アイドルの祭典」「学院×社会連携構想プロジェクト」は生まれたのだった。

秋葉と早速企画検討に移った。2025年が卒業10周年であること、この節目を大切にしようということを最初に決めた。次に会場選び。大学に近く、メモリアルなイベントということでリーガロイヤルホテルを見学しに行った。会場のスタッフからは「早実、早稲高はよく同窓会をしているんですが、高等学院の方は一度も聞いたことがないです」と言われ、開催自体にだいぶ疑いの目が向けられているのを感じた。当時は2024年初。開催一年前からホテルにとって繁盛期である3月の土曜日を我々が抑えるものだから、そりゃ疑いもあるだろう。さすがに遠慮をして、僕は「仏滅」の日を選んだ。

こうして、学院生の得意(特異)な“ノリと勢い”で最大キャパシティの会場を抑え、自分自身逃げられない状況を作った。

さすがに数百人規模のイベントを二人で回すのは難しい。次に僕らは運営委員会の発足に移った。運営委員会は当時の学院祭執行部を中心に考えた。2024年の3月、久々にLINEを動かし、飲み会を開催。参加した執行部のメンバーに同窓会を開催したい事を伝えた。皆、二つ返事で協力に快諾してくれた。この感じ、あの頃の執行部会議を感じた。メンバーの協力もあり、徐々に参加者を集め、最終的に参加希望者は215名まで上った。当初の想定を大きく上回る参加者となった。

開催に向けて、先生方へのメッセージを撮りに、卒業ぶりに学院へ足を踏み入れた。部室等は相変わらず荒廃していたが、ここもついに建て替えとなるらしい。食堂で半天丼を食べたが、当時150円の値段が190円に値上がりをしていた。購買では松屋の販売も始まったらしい。購買のお姉様方はOBの僕らにお土産として廃棄予定の菓子パンを下さった(ありがとうございました)。「変わるもの」「変わらないもの」を確かに感じて、僕は開催への高揚感に包まれた。

準備は進み、迎えた当日。司会台に立った僕は目の前にいる200人以上のアラサー男性に圧倒された。学院祭の後夜祭のステージで見た、あの光景がフラッシュバックした。野太い乾杯の発声も決して綺麗なものではないけれど、僕の胸を打った。

各々、部活、クラスの旧友たちと再会し、会は非常に盛り上がった。学院クイズでは「今・昔」を問題に、クラス対抗戦で白熱した。特に「いまの学院用語何個書けるか」のテーマでは、我々の無駄な記憶力が存分に発揮をしていた。一参加者の気持ちでみていた私は「エントロピー増大の法則」がいまの学院生にも使われていることに驚き、そして「アイドルの祭典」が学院用語に登録されていたことに、恥ずかしくも、少し感動をした。僕にとっては思わぬ再会となった。

結局、校歌もエールも歌わなかったけれど、これはこれで学院生らしいなと思った。テキトーで馬鹿だけれども、熱く居心地の良い空間。あの頃の学院の日々が戻っていた。やってよかった―。

次は10年後。僕らはもうアラフォーだし、家庭も職場も今とは全く違っているだろう。ただ、そんな彼らともう一度集まるのは“なんか面白そう”だし、懲りずにまた開催しようと思う。

 

と、少し真剣に書いてみたけれど、どうせここまで読んでいる学院生は少ないだろう。僕も読んだことなかったし。だからタイトルだけ、記憶に残るように。 

皆さん、「10年後また会いましょう!」