【今思うこと】「無用之用」ラテン語を学んで 25期 小野村健一

1974年(昭和49)卒 25期 小野村健一 政経

「無用之用」ラテン語を学んで

私は1974年に学院を卒業(25期)、1978年政治経済学部を卒業し三菱商事に入社、財務経理部門に所属、2016年に60歳で定年退職した。学院では私を含む仏語生徒が約3分の2、残りがロシア語という混合クラスのC組で、部活は3年間グリークラブで歌っていた。就職した三菱商事ではサウジアラビア(リヤド)、ベトナム(ホーチミンシティ)、アメリカ(テキサス州)・メキシコ(タマウリパス州=テキサス州とリオグランデ川を挟んだ対岸)、英国(ロンドン)に駐在、足掛け20年ほど海外勤務をした。サウジアラビアでは1988年から1992年首都リヤドに駐在していた時に湾岸戦争に遭遇、イラクのスカッドミサイルとそれを迎撃するパトリオットミサイルが上空を飛び交う中、スカッド射程圏外のジェッダまで1000キロの陸路を車で脱出した。私たちが学院や大学で青春を謳歌していた時代に戦争の最中にあったベトナムでは元ベトコン戦士や元中越戦争兵士の同僚や部下の武勇伝を耳にしながら働き、アメリカのテキサス駐在時には9.11同時多発テロが発生、ニューヨークからは遠く離れたテキサスで厳しい治安対策に翻弄された。ロンドンに駐在していた2005年7月7日午前9時前、地下鉄トンネル内3か所と2階建バス1台が爆破され、自爆犯4人を含む56人が死亡したアルカイーダによる同時多発テロが発生、爆破場所はいずれも自宅やオフィス周辺で通勤ルート上にあったが、私は時間差で間一髪難を逃れた。このように駐在した先々で戦争の影につきまとわれ、各地で得難い経験をしたが、今回は今年のノーベル化学賞に輝いた京大の北川進さんが授賞式を前にゲストブックに書いた荘子の言葉「無用之用」(無用のものが役に立つ)に因んで私の趣味である古代ローマ史を通じて学んでいるラテン語について書いてみたい。

 

古代ローマは王政期(紀元前753年-紀元前509年)、共和制期(紀元前509年-紀元前27年)、帝政帝政期(ローマ帝国:紀元前27年-西暦476年)の時代区分を持つ。古代都市ローマ発祥の地ラティウム地方の方言だったラテン語は、のちにローマ帝国が支配したヨーロッパ・アフリカ・中東に及ぶ広大な地域の公用語として国際語となり、現在のイタリア語、スペイン語、フランス語などロマンス諸語の母語となる。われわれが学ぶラテン語は今から2千年ほど前の共和制末期から帝政初期にかけて精緻化された最も洗練されたラテン語で、それを使って膨大な古典文学の傑作が著されたことから古典ラテン語と呼ばれる。古典文献はその大部分が散逸し失われたもののそれでも多くの著作が生き残り貴重な記録や多くの教訓を今日に伝えている。ラテン語学習はそれら古典の読解が中心となる。他にローマ帝国終焉後に変容した中世教会ラテン語や近代までヨーロッパの共通語であった近代ラテン語などがあるが、現在一般のラテン語講座で教えられているのは古典ラテン語である。以下単にラテン語と略す。

 

私はラテン語を学ぶことは趣味としてもっとも相応しいものと思っている。何しろ現在は使われていない現実生活に何の役にも立たないと思われている「死語」を学ぶわけで、「無用之用」的な究極の趣味と言ってよいのではないかと思う。ところで、学院が第二外国語を必修としていることも、実用に資することは多くはないようだが「無用之用」的意義があると思っている。グローバル化する社会において複数の言語を学ぶことにより多様な文化の理解が深まるという意義があることは言うまでもないが、高校から英語以外の言語を学んで習得している(と周りから思われる)ことで、受験英語に鍛えられた一般学生に比べ英語が苦手な学院出身者の劣等感(私だけかもしれないが)をカバーし優越感をもたらし自信につながるという大切な意義があると思うのだ。私自身も大学や会社で英語と仏語のトリリンガル見られて一目を置かれ、これに気をよくして語学習得がひとつの趣味となり、のちにスペイン語、イタリア語、ラテン語、アラビア語などを覚えることになり、学院で学んだフランス語とともに商社マンのキャリアに大いに役立つことになった。

 

話をラテン語に戻そう。サウジアラビアと英国駐在時にローマ帝国が支配していた地域を旅して、そこに残された古代ローマの遺跡の壮大さに魅せられたことがローマ史そしてラテン語を学ぶきかっけとなった。ローマ帝国中枢部のイタリアやスペイン、ギリシアはもちろん、西はモロッコから東のエジプトまでの北アフリカの地中海沿岸諸国、シリアやパレスチナ、北はイギリス、フランス、ドイツ、そしてルーマニア、ブルガリア、バルカン諸国などの東欧南部、トルコなど広大な地域に点在する遺跡を巡った。英国の大部分を占めるイングランドは紀元前55年、かのカエサル(ジュリアス・シーザー)が侵攻して以降約400年間ローマの植民地だったことから古代ローマ遺跡の宝庫であり、現在もローマ起源の都市が多くある。ロンドンもローマ人が作った街で、今のロンドンは古代ローマの遺跡の上に建っている。また、北のスコットランドとの国境近くにはハドリアヌスの長城というミニ万里の長城も残っていて人気観光地になっている。こうした各地の遺跡の壁や石碑に彫られているラテン語に興味をそそられ、ヨーロッパ、アフリカ、アジアに跨る広大なローマ帝国の公用語であった言語を習得したいという思いに駆られて英国駐在から帰国後お茶の水のアテネ・フランセに2年半通って中級レベルを修了、現在は日伊協会でイタリア人講師による中級の上レベルの講座をイタリア語で受講している。

リビアのサブラダ遺跡:古代ローマの水洗トイレにて

イギリスの古代ローマ遺跡:ハドリアヌスの長城にて

 

ラテン語は古代語であるだけに複雑な文法を持つ非常に難しい言語で、書かれた文献は難解を極める。古代ローマ時代でも文法学者らにより半ば人工的に洗練化されたラテン語は知識階級しか使いこなせず、すでに庶民の間では単純化が始まっていて、やがてイタリア語、スペイン語、フランス語などロマンス諸語へと、ラテン語から多くの語彙を引き継ぎながら文法は簡易化され方言化していく。ラテン語の学習は基本的に古典文献の読解のみで会話や作文は学習しないが、パズルを解く感覚で難解なひとつの文章の解読に没頭し徹夜になることもしばしばである。われわれの祖先がまだ文字を持たなかった2000年前に書かれたキケロの政治哲学書やカエサルのガリア戦記などの古典を原文で読み、古来変わらぬ人間の営みを知りしばしば教訓を得ることはまさに「無用之用」に通じるものであろう。源氏物語の原文を苦労して読み、変わらぬ人間の性を認めて感動を覚えるのと同じといった感じだろうか。ラテン語の学習は時間の無駄にも見えようが、難しいからこそ面白味があり得るものも少なくなく、また認知症予防にもなるとも思って今後も続けていくつもりである。

ラテン語テキスト:カエサル ガリア戦記冒頭部分

 

 

長くなって恐縮だが、最後に古代ローマ史とラテン語をかじって学んだことを話したい。ひとつは人間は何千年前の古代ローマ人から現在まで本質的に進歩していないということだ。逆に言えば古代ローマにおいて人間はすでに進歩の極に達していて、その後退歩と進歩を繰り返して今に至っているともいえる。例えば、現在の米国の政治は良くも悪くもローマ帝国のそれの引き写しで、上院を表すSenateはローマの元老院Senatusをそのまま取ったものだ。富豪たちが政治を牛耳り、傍若無人の皇帝(大統領)が現れると元老院(議会)を無視して独裁者となり、戦争で問題を解決する歴史を繰り返している。もうひとつは戦争のDNAだ。古代ローマは紀元前753年に建国されたとされ、西ローマ帝国が滅亡する西暦476年まで約1200年間続くが、その間絶え間なく内戦や異民族との戦争に明け暮れていた。その後も滅亡したローマ帝国の支配地域だったヨーロッパ、パレスチナやシリアなどでは現在まで民族間の戦争が絶え間なく起こっている。また、ロシアは長い間タタール(モンゴル)のくびきの下で辛酸をなめ、中国は4千年の歴史のほとんどを騎馬民族(秦、唐、元など)や満州族(清)など異民族に支配されていた。このようにいずれの民族も民族間闘争の長い歴史を持っている。一方、その対極にあるのは先の太平洋戦争前後の数年を除いて先史時代から異民族の支配を受けず長い間平和を享受してきた日本人で、われわれは彼らとは戦争について刻まれているDNAが違うように思える。進行中のウクライナ戦争やガザ・パレスチナ戦争などの戦争に対する欧米人、ロシア人、中国人たちが信奉する力の論理、闘争志向を日本人はどうしても理解できないように思えてならない。それは決して日本人が戦後平和ボケになったためだけではなく受け継いでいるDNAが根本的に異なるせいではなかろうか。平和を守り訴え続けることが平和のDNAを持つわれわれ日本人の不変の使命であり、一日も早い和平の実現を願うのみである。

以上