【学院の今】「輝いた2年間 ‐再開柔道部活動記‐ 」 国語科教諭 松島 毅

国語科教諭 松島 毅

輝いた2年間 -再開柔道部活動記-

中央の黒帯が松本君、右の白帯が山口君、左が松島先生

 2019年4月中旬。生徒担当の教務主任から話しかけられた。「柔道部に入りたいという生徒が2人来たんだけど、面倒見てもらえませんか。」2016年度に、たった1人であった部員が卒業し、柔道部は丸2年「空き家」であった。私も、2017年度こそ形式的に「部長」と位置づけられたが、2018年度にはそれも奪われていた。

 入部希望の2人は、当時2年生の松本晴一郎君と、1年生の山口翔平君。松本は、中学時代に経験があり、既に有段者。入学時に柔道部に入ろうとしたが、部員がいないと知ってどうしていいかわからず、他の部に入っていた。山口は未経験だが、高校では柔道をしたいと考えていた。2人は、新学期が始まって間もなく相次いで教務に相談に訪れ、引き合わされた。彼らにとって、この出会いは心強かったに違いない。2人いれば、柔道はできる。そして、教務に紹介され、私のもとにやって来た。柔道部は再始動することになった。

 5月の連休明けから活動を開始したが、全面的に、とはいかなかった。松本は、それまで入っていた部活動で正選手であり、活動に折り目を付ける必要があった。一方の山口は、受け身をはじめ基本動作から身につけなければならなかった。そこで松本の部活動のない日を選んで、週1~2回の練習から始めた。その間に柔道着をそろえ、今後の活動の計画を練った。1学期の期末試験が終わるころには、山口は受け身が大体とれるようになり、いくつか技も覚え始めていた。

 夏休みから活動は本格化した。2人だけでも練習はできるが、できれば相手を広く求めたい。そこで、都立石神井高校に定期的な合同練習をお願いすることにした。先方は快く受け入れてくださり、以降、石神井高校柔道場は我々にとって基本的な練習拠点となる。また、顧問の先生のご厚意で、他校との合同練習会をいくつか紹介いただけた。特に、8月、都立総合工科高校で実施された大規模な練習会は忘れ難い。この時、初めての練習試合を経験した。初心者の山口も2回ほど勝つことができ、今後への期待を大きく膨らませた1日であった。

 2学期に入り、順調に事が進むかに思われたが、残念なこともあった。石神井には、2年生が1名いたが、部活動に来なくなってしまったのである。石神井は1年生3名となった。石神井の練習には保谷高校・農芸高校も参加することがあったが、両校とも1年生が主体であった。すべて集まっても10名に満たず、2年生は松本のみ。柔道を再開したばかりの松本が、4校分の主将として練習をリードする役割を担う状況が生じた。直接話題にしたことはないが、松本としては心細かったことであろう。

 2学期は、2つの大会に出場した。まず、10月初旬の練馬区民大会。実は私も出場した。3人とも初戦敗退したが、一度だけでも3人で出られた試合があったのは、今となればいい思い出だ。11月には、当初から「旗揚げ戦」と見定めていた支部新人戦に出場し、松本は貴重な公式戦初勝利を挙げた。山口も敢闘した。手応えはつかみつつあった。冬休みを経て、3学期に入り、こまごました問題はありつつも、活動は順調に継続していた。

 コロナ禍がやってきたのは、そんな時だ。2月から部活動は停止した。年度が替わっても、事態は好転しなかった。活動の集大成となるインターハイも中止された。夏になっても活動には制限があり、他校との交流がはばかられる中で、柔道部はほとんど身動きが取れなかった。夏休みに何度か軽いトレーニングを行えた程度で、それ以上は望むべくもなかった。

 9月になり、状況がやや緩むに及び、3年生のための代替大会が10月に開催されることとなった。再開のための相談を何度か重ねる中で、山口が退部を申し出てきた。コロナ禍にあって、「密」を避けがたい競技である柔道を続けることに不安をぬぐえないというのが理由である。家庭の事情もあったようだ。我々は受け入れることにした。山口は、折り目正しい生徒で、石神井にも出向き、先生方や生徒たちにも、退部とこれまでの感謝を伝える挨拶をしてくれた。松本は、残り1か月足らずとなっていたが、最後の大会に向けて動き始めた。退部を申し出た少し後、山口が、松本の最後の試合に同行し、サポートしたいと願い出てくれた。松本も私も、異存はなかった。3人で始めたものを、3人で終わらせることができるようになったのだ。

 2020年10月3日、東京武道館。山口も柔道着に着替え、打ち込みを受けたり、柔軟体操を手伝ったりなどしてくれた。松本は、初戦敗退に終わった(対戦相手は準優勝)が、学院柔道部は、その時点で考えられる限りのゴールへとたどり着いた。

 松本は、その後、弐段に昇段。新入部員の勧誘にも努めてくれたが、入部者は現れなかった。卒業式の日、松本と山口はお小遣いを出し合い、私に筆記用具をプレゼントしてくれた。
再開柔道部の活動は、たった2年で幕を閉じた。しかし、それは生徒と教員が力を合わせ、「自分たちの部活動」を創り上げようと奮闘し続けた時間である。その意味で、きらきらと輝いた2年間であった。