【今思うこと】「母校を想う」72期理事 松﨑滉生 

                 2021年(令3)卒 72期理事 松﨑滉生 E組 法学部1年

母校を想う

 私たちが高等学院を卒業して未だ1年も経っていないはずである。しかし、なぜこんなにも懐かしく、上石神井を訪れたいという想いに駆られるのだろうか。

 さて、この度72期の理事を務めることとなり、こうして寄稿する文を綴っているわけである。お読みいただいた方を惹かせられる文才があったらよかったのに。豊富な人生経験をお持ちの諸先輩方ならいざ知らず、若輩者の私が何を語ったものか。このような時のために日頃から話題の種を蒐集していたが、あまりにも突飛な話題ばかりで困ってしまった。

 そのようなところで、せっかく卒業したばかりであるのだから、つい数年前まで謳歌していた学院時代を思い返してみるとしたい。

 このような場面で私は絶対に「学院に来てよかった」と書かない。絶対に、である。もちろん心中では高校時代を学院という環境で過ごせて最高だったと思っている。それは言うまでもないことであるし、裏を返すと学院以外に行かなくてよかったというニュアンスを含み、個人的に好まない。というのも、どのような学校であっても3年以上通っていれば、なんだかんだ好きになってくるものである。「住めば都」なのである。入学前の私はむしろ学院が苦手だとさえ感じていた。

 少し昔話をすると、私はもともと高校受験の時点で学院に通うことを考えていなかった。受験日程を埋めるためだけに願書を出したが、他の志望校はことごとく不合格で、背水の陣で臨んだ学院の試験でようやく合格をいただいたのだった。終わってみれば安堵よりも落胆が勝っていたことを今でも覚えている。

 そのような心持ちで入学した私であったが、なかなかに楽しい高校生活を送ったと思う。何か一つを突き詰めるのではなく、多種多様な活動に取り組んだ3年間であった。

 さて、「学院の自由な3年間で何をするか」という問いかけは、学院生であれば耳にたこができるほど聞くことだろう。入学早々に組主任から言われた時にはよくわからなかったこの言葉も、卒業してみて改めてその重みに気づく。実のところ、これを達成するのは簡単でもあるし、難しくもある。何をもって“やった”のか。その基準は人それぞれである。

 よく「一つを極めろ」という話を聞く。艱難辛苦を乗り越えたり、輝かしい実績を残したり、幼少期から一筋で頑張ってきたり。そうして「狭く深く」成長してきた人は自分の確固たる芯をもっている。こういったアイデンティティ論は非常によくわかる。スポーツでも芸術でも、一芸に特化した人は自信に溢れているように感じるし、何よりかっこいい。

 だがしかし、だからといって「浅く広く」の人は評価されないのか。されないはずがないのである。多様な経験はいつどこで活きるかわからない。それは不確かであると同時に、決して無駄ではないということでもある。むしろ、年を重ねるにつれ未知への挑戦をしていくから経験があってうまくいったということが増えていくのではないか(19年しか生きていない若造が何を言っているんだという指摘はこの際置いておく)。自分の経験から応用して取り組んでいくのだから、知見の広さは十分な武器である。そのように思わないだろうか。

 だから私は「学院の自由な3年間で何をしたのか」という問いに対して「色々やった」という、元も子もない当惑されそうな答えを返している。…少し言葉足らずだったか。「色んなことにチャレンジしてみた」としておこう。チャレンジという名目で、色んなところに首を突っ込み、関わってくれた人も多かった。多様性を受け入れてくれるという点ではさすが学院生だと感心するばかりだった。だからこそ、そのような環境があった学院に「戻ってきたいな」という哀愁を感じるのである。ああ、

「 「 「学院に来てよかった。」 」 」

(右の写真は、私が撮った、学院内で最も好きな場所である。どこの写真であるか覚えていらっしゃるだろうか。)

  いずれにせよ「僕の学院生活はこれだ!」と自分で言葉にできるのであれば、間違いなく意味のある学院生活を過ごせたのだと思う。ここで「何をしたのか」という問いを踏まえて「それにどのような意味があったのか」という質問を、ふと自分に訊いてみる。卒業直後や入学直後、友人との話題に出した時、そして今。毎回再定義を試みる自分の学院生活は面白いことに、その時々で違う意味付けがなされる。私は1年後、10年後、その先でも常に違う意義を見つけていくことだろう。

 この拙い文章をお読みになっている方々にはこれを機に今一度、瞳を閉じていただき、ご自身の高校生活を思い返してみていただきたい。「何をしたのか、それにどのような意味があったのか。」ただの思い出で終わらせずに、何を見出すか。ここまでやってこそ、学院のOBでいらっしゃるだろうと声高に言いたい。過去を振り返らないことを信条にしている人もいらっしゃるだろうが、回顧の時間を取ることもなかなかに趣深いと、私は思う。