【クラス会】 「あと7年が余命ですよ」と、11期84歳の新年会
11期 堤 哲
「あと7年が余命ですよ」と、11期84歳の新年会
60年安保の年に学部へ進学した11期生の新年会が、2026年1月10日JR日暮里駅前の中国料理「又一順」で開かれた。
第1回は1985(昭和60)年。ダボさん村井圭史(2000年没60歳)の呼びかけで、本郷二木旅館=同期二木正浩(2024年没82歳)の実家=で始まった。正月の第2土曜日と日取りが決まっていて、大広間に50人も集まったことがあった。コロナ禍で何年か中断したが、ことしは第38回、参加17人。
大半が84歳だが、「ことし米寿、88歳を迎えます」と学院を6年かけて卒業したツワモノも。司会は、元NHKアナ島村俊治。鈴木大地(1988ソウル)、岩崎恭子(1992バルセロナ)、清水宏保(1998長野冬季)の五輪金メダルを実況放送した。現在もJスポーツで活躍しており、「現役スポーツアナの最高齢ではないか」という。写真の右端。

その左上は森邦彦。柔道4段。学院同窓会の元理事長・現相談役。「昨日はゴルフ。95でラウンドしました」と元気だ。
さらに左上、元卓球部大友和男。「3日に退院。きのうから酒も解禁になりました」
左隣へ大沼明夫。「ストレッチとウォーキングは欠かさない」。航空部4年の1964年2月、グライダーで直線54・5㎞の飛行に成功し「学生2人目の銀C賞」(獲得高度1千m・滞空5時間・距離50㎞)と朝日新聞が顔写真付きで報じた。
浅川実。マンドリン俱楽部。91年から5年間、三菱商事のカラカス駐在。今回の米トランプ大統領によるベネズエラ襲撃、マドゥロウ大統領の拘束を解説した。
安中宏輔。空手部。安田信託銀行→穴吹工務店専務。阪神大震災を体験したが、「まずトイレの確保ですよ」。
角田善治。「谷中の墓地を歩いてきた。台東区立上野中学から学院へ行ったので、ここが地元。懐かしかった。6千歩歩きました」。バレーボール部。
その前、新開哲。剣道2段。「試合では負けてばかり。学院の最後の早慶戦で初めて1勝をあげた。学部ではマンドリン俱楽部。居合道3段でもあります」
その左上、植竹清。フェンシング部。2024年パリ五輪で後輩の松山恭助(2020年スポーツ科学部卒)がフルーレ団体で金メダルを獲得、そのツーショット写真を携帯で見せた。「われわれの時代、外人選手には子ども扱いされた。とても勝てるとは思わなかった」

金メダルを手に松山恭助選手と
松本高明。水球の64年東京五輪強化選手。「学院はプールもなくなった。毎日1500㍍泳ぐのを日課にしている。84歳の余命はあと7年、91歳までという講演を聞いた」。三菱銀行四谷支店長時代、新年は宮内庁と創価学会本部へごあいさつが仕事始めだったという。
浜野喜和二。「娘が青学出身。箱根駅伝ではシン山の神に最後に抜かれて往路優勝を逃し、復路も青学のぶっちぎり優勝。威張られました」といいながら、嬉しそう。大林組でバンコク駐在は29歳から9年半に及んだ。いい思いを一杯した?
右斜め下。生稲嘉郎。文学部へ進んだ変わり種。「学院に入学した時の日記が見つかった。ここにいる磯部、松本、植竹らが懐かしい名前が出てくる。通学路が一緒だった内田俊夫(2021年没80歳)と、築地に出来た松竹セントラルで『大いなる西部』を見た」
ずっと右へ進んで、元TDK社長・澤部肇。「母校の評議員会会長を務め、年の初めは、護国寺で大隈重信公、谷中墓地に高田早苗翁の展墓を総長らとしていた。ことしはこの新年会が初外出です」。日経新聞に「私の履歴書」(2019年12月)が掲載された一番のVIP。
最前列右から。サッカー部磯部和典。「学院の時、日韓定期戦が後楽園競輪場でナイター開催。前座の試合で朝鮮高校に3-4で敗れた。学院はその年の東京都の大会で優勝。それでエキジビジョンマッチに呼ばれた」。就職先はソニーで、学院のサッカー部監督も務めた。
松原有作。「女房を在宅介護していて、NHKクローズアップ現代が取材にきた。いずれ放映されますので、是非見て下さい!」
柳孝一早大名誉教授。野村総研から多摩大学教授→早大大学院アジア太平洋研究センター教授を歴任。ベンチャー企業論が専門。澤部とともに軟式テニス部で活躍した。
最後は幹事役の堤哲。元毎日新聞社会部記者。1959年11月創刊の「早稲田スポーツ」に入会し、第3代編集長。現在は早稲田スポーツOBOG俱楽部の会長を務める。
さて、この会があと何年続くのか。「ことし4月29日の学院ホームカミングデーに合わせて再度集まろう」と森邦彦同窓会相談役から提案があった。
(敬称略)

