【OBの活躍】「私たちが新聞を作る意義」69期 細井万里男

  2018(平30)卒 69期 細井万里男 G組 政治

私たちが新聞を作る意義

 政治経済学部4年の細井万里男と申します。学院時代は軟式野球部に所属していました。1個上の代が全国準優勝、自分達の代が全国ベスト8という強豪で、野球があまり上手くなかった私は公式戦ではスタンドから応援することがほとんどでしたが、軟式野球部でのさまざまな経験とそこでできた友人は本当にかけがえのないものでした。

 今回寄稿するのは大学入学後に入った早稲田スポーツ新聞会(早スポ)についてです。私は3年時に編集長(幹事長)を務めました(2つ上の代から3代連続学院生が編集長を務めるという珍しい事態になりました)。今回は編集長の経験を通じて当時考えていた、早スポが新聞を作る意義について寄稿したいと思います。

新聞に未来はない?
 このメルマガの読者の方は新聞を購読しているでしょうか。私は読んでおらず、主にニュースアプリ、ツイッター、テレビでニュースを見ています。周囲の同世代に話を聞くと新聞を読んでいるという人はほぼ皆無で、テレビすら見ないという人も相当に多いです。米求人会社が2019年に調査した「将来が危ない最悪の仕事」ランキングでは新聞記者が3位にランクイン。日本の新聞社の多くは不動産収入で新聞部門の赤字を埋めているという状況。特にスポーツ紙に関しては一般紙の減少率を大きく上回る売上の激減。少なくともビジネス的には新聞に未来はないように思えます。

 では、私たち早スポのような大学スポーツ新聞の未来はどうなのでしょうか。

 まず早スポの紹介をすると、早稲田スポーツ新聞会とは早大体育各部の試合や大会を取材し記事を執筆する早大公認サークルです。新聞だけでなく、ホームページやTwitterなど様々な媒体を通じて記事を発信しています。

1960年(昭和35年)の早スポ紙面。小田急など多数の広告が掲載されている

 最初に早スポの新聞の将来に関心を持ったのは2年生の時。編集長の引き継ぎを行った際に、今までの発行部数や広告収入のデータを見せてもらいました。そこでは発行部数と広告収入は年々減少しており、このまま同じ規模で新聞を作り続けていると大赤字になってしまうということが、データからはっきりと読み取れました。

 しかし早大はこれでも早慶戦や箱根駅伝など人気のイベントが多いこともあり、需要の強さで全国の大学新聞部の中ではトップクラスに恵まれています。他のある大学は「資金難で例年作っていた新聞制作を中止した」という話も聞きました。他大学では、新聞の「終わりの始まり」が既に訪れていると言えるかもしれません。

 私が新聞に関して懸念を感じたのは上記した資金的な問題に加え、需要の少ない(=読まれない)新聞の制作に労力をかけるべきかという点、さらにはそもそも「非新聞世代」の私たちに新聞制作はフィットしていないのではないかという点です。

 ここまで書くと新聞の未来はなく、積極的に作る理由がないように思うかもしれません。しかし直感的なフィーリングとして新聞制作はなくてはならないものでした。

コロナ禍で気付かされた新聞制作の重要性
 新聞制作の意義をわかりやすく気づかせてくれたのはコロナ禍でした。それは、新聞制作には密なコミュニケーションを伴う、という重要な側面があるということです。

 コロナ禍では、活動は可能な限りオンラインで行っていました。ネット配信された試合映像、またLINEなど文面で応対してもらったインタビューなどを基に記事を書き、それをホームページに掲載する、こういった一連の流れは、コロナ禍の中では当たり前の風景でした。一見効率的ですが、これは1人でも完結する作業でした。複数人で取材に行ったり、新聞制作に少し顔を出してみたりといった機会が減ったことで、「サークルが今どういう感じなのかわからない」「早スポの人と全然会ってない」という声がよく聞かれました。

新聞完成後の集合写真。大隈講堂前にて

 新聞制作に関しては新聞社で行わざるを得なかったため、人数を絞りつつも対面で行いました。そこではメンバー同士のコミュケーションが、否が応でも生まれました。紙面レイアウト、記事内容の事実確認、先輩から後輩へのアドバイスなど、そのひとつひとつがコミュニケーションを生んでいました。みんなで忙しい約1週間を乗り越え新聞を作り、みんなで新聞が完成し印刷される瞬間に立ち会い、みんなで会場にて配布するという一連の作業が、早スポの一員として仕事や使命を果たしたという感覚を、新聞制作に関わった者全員に感じさせてくれていました。
 つまり新聞制作に注ぐ労力は、新聞という成果物だけに反映されるだけではなく、サークルというコミュニティの一体感、ひいては充実感に大きく貢献していたということです。新聞制作は早スポにとっての「文化祭」、「部活の合宿」的な要素であり、コミュニティを維持するために重要な役割を果たしていたということに気付かされました。

 また他にも、学生新聞という物自体が絶滅危惧種、あるいは無形文化財に近い貴重なものではないか、ということにも気付きました。例えばスポーツ新聞のデザインには昔からある種の規律、すなわち伝統のようなものがあり、また学生が作った新聞を試合会場で学生が配布している昔から変わらない風景を見ると、大学スポーツ新聞そのものが文化として面白い、と言えるかもしれません。そして全体の需要が減っているとは言え、熱狂的な早稲田ファン、大学スポーツファンは早スポの新聞を毎号楽しみに待ってくれています。私の中では、規模を縮小しながらも新聞を作り続けるべきだという結論に至りました。

 しかし、数〜十数年後には早スポにも他大学のように新聞の「終わりの始まり」が確実に訪れることでしょう。その時、コミュニティとして新聞制作に代わるものが必要になると思います。私は2021年度の早スポ編集長を務めた者として今後の早スポの姿が心配でありつつも、どう変わるのだろうという好奇心も感じています。私はこれからも早スポを、ひいては大学スポーツ新聞の世界の今後をささやかに追っていきたいと思います。

 早大体育各部や早稲田スポーツ新聞会に興味を持っていただいた方には、ぜひ早スポホームページやTwitterにアクセスし記事を読んでいただければと思います。強豪の米式蹴球部をはじめ、大学でも多くの元学院生が活躍しています。また、野球早慶戦やラグビー早明戦、箱根駅伝など様々なイベントで新聞を配布していますので、ぜひ会場を訪れ新聞を受け取ってみてください。多くの方に記事や新聞を読んでいただくことが、早スポ現役生の何よりの喜びであり、やりがいです。

関連リンク
・早稲田スポーツ新聞会ホームページ
http://wasedasports.com

・早稲田スポーツ新聞会Twitter
https://twitter.com/waseda_sports?s=21