【今思うこと】「数学の難問を解く魔法の箱—文化功労者に顕彰されて—」23期 大石進一(早稲田大学理工学術院応用数理学科教授)

1972(昭和47)年卒 23期 大石進一 D組 理工

(早稲田大学理工学術院応用数理学科教授)

数学の難問を解く魔法の箱—文化功労者に顕彰されて—

 小学生の時は人生は確固たる安定した器と思った。中学生になる頃、いつ不条理に終わるかわからないものと認識した。生き方を模索し始めた。しかし、まだ勉強とは人生設計において必要なもので面白いものではなかった。

 学院に入学すると、人とは何か、世界とは何かを追求するために学ぶと考えた。大学受験をしなくて良いので、それにとらわれない勉強をしたい。ドイツ語の原書を読むことに多くの時間を割いた。新学年になって新しいドイツ語の教科書が2冊渡された。読んでみるとあまり辞書を引くこともなく数時間で読み切ってしまった。そこで数学の本を読むことに改めた。大学の数学の勉強をしようと思った。大学での積分としてルベック積分の本を読んだ。悪魔の階段などの測度論の話が載っていた。少しびっくりした。結局、数学の難しい問題がすらすら解けるようになりたいと思った。「難しい数学の問題を入れると解答を出してくれる魔法の箱があるといいな」という夢を持った。

 理工学部電子通信学科に進学した。大学に入ると量子力学に興味をもった。いろいろな教科書を読み漁ると,朝永振一郎先生の「量子力学I」に出会った。量子力学が発見された物語を述べていて非常に面白かった。物理に興味をもった。1972年に岩波書店が「現代物理学の基礎講座」12巻の発行を開始した。大学入学が同じ年であった。これを読み始めた。「量子力学II」を早稲田大学の並木美喜雄先生が書かれていた。その「量子散乱理論」を夏休みいっぱいかけて勉強した。大学3年生になって「古典力学II」が発刊された。それに豊田利幸先生のソリトンの紹介があった。4年生になり卒論で量子力学を使った通信について研究しようと思った。しかし、どの研究室でも研究していなかった。次善の策として量子散乱理論の逆問題を使ってソリトン方程式を解くという「ソリトン」の研究をすることにした。数理的な研究をしている堀内和夫先生の研究室に入ることにした。

恩師の堀内先生とボローニア大学にて(世界最古の大学)

 修士から博士にかけてソリトン解がFredholm行列式であることを発見した。これを博士学位論文にまとめた。その少し後、佐藤幹夫という天才数学者がソリトン方程式はグラスマン多様体のプリュカー座標表示である事を明らかにした。そして,ソリトン解がFredholm行列式でかけるのはソリトン方程式の解がA型の無限次元リー環をなすことによる事を示した。無限次元リー環にはB,C,D,例外環などがあり、それに対応するソリトン方程式もある。それで全部であるというのが佐藤理論である。あれほど不思議に思ったソリトンの代数構造がほぼ完全に解き明かされたように感じた。

 では博士学位を取ったら次に何を研究すれば良いか。それなら,代数構造のない非線形微分方程式を解けば良いという考えに至った。博士3年生から助手になっていたので研究者への道は開かれていた。1990年になってコンピュータシミュレーションによって非線形微分方程式の近似解を計算し、その近くに真の解がある事を数値計算の誤差を厳密に把握することによって証明する精度保証付き数値計算法がある事を知った。これだと思った。しかし当時は精度保証付き数値計算では80変数の連立一次方程式の近似解の精度保証をするのでも大変であった。

 10年ぐらい研究に没頭すると、ある日、非常に簡単に100万次元の連立一次方程式でも解の精度保証ができる方式を思いついた。そこで数値計算の理論を書き直して数値計算とは精度保証付き数値計算のこととであるという本を書いてみようと思った。数カ月かけて「精度保証付き数値計算」という本を書き上げた。ほとんど全ての数値計算は精度保証をつけられるという事を示せたと思った。思えば,コンピュータで非線形微分方程式のシミュレーションをして近似解を作り、その近似解の近くに真の解がある事を精度保証付き数値計算で証明するというのは「数学の難問を解く魔法の箱」を作りたいという学院時代の夢の実現である。

 学院生時代に勉強は面白いと思うようになった。世界の不思議を解き明かすのが勉強であると思ったから。それは70歳になるという今に至っても変わっていない。数年前に精度保証付き数値計算の研究業績によって文化功労者に顕彰された。この楽しみを追求することができたからであろう。それを可能にしてくださった恩師をはじめとする方々に深く感謝。