【思い出】「同級生交歓と母の思い出」24期 岩崎日出俊

1973(昭48)卒  24期 岩崎日出俊 F組 政治

同級生交歓と母の思い出

 

 8年前に母を亡くしました。94歳でした。

 晩年、母は自分で風呂に入ることも出来なくなって、介護付き老人ホームに入りました。

 そんな母が好んで読んでいたのが月刊『文藝春秋』です。毎月10日前後の発売日になると私はこれを買って、母のところへ届けました。もっとも最後の1~2年は、届けると喜んでくれるのですが、実際には読んでいなかったのかもしれません。いつも新品同様の形で机の上に置かれていました。

 もしかすると、雑誌が発売になると息子が来てくれる。そのことが待ち遠しかったのかもしれません。実は雑誌に係わりなく、私は毎週末には必ず母のところへ行っていたのですが・・・。

 さて、そんな文蓺春秋に私のインタビュー記事が載りました。母が他界してから2年後のことです。「母が生きている間に見せてあげたかった。きっと喜んでくれただろうに」。そう思って私は、出版社から送られてきた雑誌をそっと仏壇に供えました。

 

同級生交歓

 その後、雑誌のインタビュー記事を担当してくれた編集者と話していた時に「同級生交歓」について話が及びました。

 「岩崎さん、同級生交歓ってご存知ですか。もう60年近くも続いている雑誌の名物企画なんですよ。岩崎さんは学院出身ですよね。私も学院なんです。ドイツ語のG組におりまして、担任は数学の山口道成先生でした。山口先生も中学生の頃から『文藝春秋』を購読されていたと聞いていたので、私が編集部に所属してから毎号お送りしていました。

 同級生交歓には学院出身者が余り出て来ないので、個人的には何とかしたいと以前から思っていました。もし出て頂けるなら、どういったメンバーになるか、考えて頂けませんか。社内の編集会議にかけた上で決めさせて頂きます」

 私は学院時代、AFS留学していて、最初の2年プラス5ヶ月は23期D組のメンバーと一緒。留学から帰った9月に1年下のクラスに編入し、残り7か月を24期F組の方たちと過ごして卒業しました。早速23期、24期のメンバー数名と相談し、最終的に23期D組の4人で出ることにしました。

 写真撮影の為に久しぶりに訪れた学院は昔と余り変わっていませんでした。正門から続く欅並木も大きくはなりましたが昔のまま。学院時代、私は自転車通学をしていましたが、母がいつも交通事故を心配してくれていたことを思い出しました。

 同級生交歓の写真には以下の文章を添えました。 

『私たちが早稲田大学高等学院に入学したのは1969年。この年、安田講堂事件の余波で、東京大学は入学試験を中止。海外ではベトナム戦争が泥沼化していた。高校時代から秀才肌の大石は数学者の道を歩み、早稲田大学理工学術院長などの要職を歴任した。剣道部で活躍した大橋は大学でインドに出会い、隣国バングラデシュに渡りNGOで活躍。現在は大学で教壇に立つ。水球部の張は大手コンピュータ会社を経て、現在はシステムコンサルティング会社の社長として指揮を執る。岩崎は日本興業銀行から外資系投資銀行に転じ、49歳で起業。経営コンサルタントとなった。高等学院の自由な学風が当時のやんちゃな4人をそれぞれに伸ばしてくれたと感謝している』

 掲載された雑誌(18年1月号)が送られてくると、私はまた母の仏壇に供えました。

 なお写真に出てくる大石君はその後、文化功労者(20年度)となりました。