【今思うこと】「大学で数学を教えることについての雑念」26期 山田裕史

1975(S50)卒 26期 山田裕史 理工

大学で数学を教えることについての雑念

クラス写真

 高等学院26期生、1975年3月の卒業です。美術の米倉正弘先生が担任のK組でした。同級生には読売新聞グループ現社長の山口寿一がいます。何年か前のホームカミングデーで久しぶりに皆が顔を合わせたのをきっかけに、またコロナで一躍盛んになったオンライン会議に慣れたこともあり、最近はズームで同窓会をしています。毎週金曜日の夜、4、5人ではあるけれど近況報告を兼ねていろいろ雑談をしています。ただみんな66歳、モノの名前、人の名前は出てきません。「アレ」だの「あいつ」だのといった指示語ばかりで曖昧なまま話が進みます。

学院ホームカミングデー

 私は高等学院卒業後、理工学部数学科に進学、30歳のときに広島大学で学位を取得しました。琉球大学、東京都立大学、北海道大学、岡山大学を経て、昨年熊本大学にて定年を迎えました。現在、妻の生まれ育ったところであり、また私も20代のほとんどを過ごした広島に居を定め、当地の大学で非常勤講師として1年生に数学を教えるという生活をしております。岡山大学からは名誉教授の称号をいただきました。35年以上大学で数学を教えてきたわけです。数学者として研究に力を注いだのはもちろんですが、教育も仕事の大きな柱だったし数学を教えることは今も大好きです。

 数学というとほとんどの皆さんはロクな思い出がないだろうし「全然わかんないや」と敬遠されることと思います。そういうのにはこちらも慣れており挨拶の一部と心得ています。大学初年級の微分積分や線型代数の講義は今でも昔ながらの方法です。つまり黒板を使って式を書き連ねていくというスタイルで高校の授業と何ら変わるところはありません。黒板には教科書と同じ式が書かれます。そして学生は教科書を持っているにもかかわらず板書をノートに写します。結果的に教科書の手書きのコピーが「ノート」という名で出来上がります。立派な設備のある教室にそぐわないし紙の無駄遣いだという意見も聞かれます。数学以外では教員はパワーポイントなどのスライドを使って講義し、事前にあるいは事後にファイルを配るということも普通に行われています。数学だけがそれをしませんし、またこの古典的スタイルについて学生から不満が出されることもあまりありません。何故でしょうか?

 一般に自然科学の講義は一義的には「事実を伝える」ことです。「物質の根源的な構造はこうだ」とか 「遺伝はこういう法則に従う」といった事実を教えるものだと思います。イデオロギーとか世界観の入り込む余地は本来ありません。数学も基本的には同様で 「この式を変形すればこうなる」という計算を示すことが多いのは確かです。ただし、ここが他と違う部分だと思っている訳ですが、式変形なら変形の過程を細かく見せます。結果を示すだけでなく教員が黒板で実際に計算します。途中の式も「第2項がキャンセルして」などと言いながら全部書くので、ある程度の時間が必要になります。学生は目の前で実際に計算を見せられ、それをリアルタイムで書き写すことにより教員と同じステージで計算を体験するのです。この「教員と学生が過程を共有する」ということが大切なのだと思います。もちろん数学の講義は計算だけではありません。というより計算は理論の解説の補助に過ぎません。数学の本質は系統的な理論構成であって決して計算ではないし、ましてや計算に習熟することが数学の目的ではありません。抽象的な理論を具体的な計算を通して理解させる、これが講義の本来の姿だと思います。以上のような理由でスライドを用いた講義が数学には馴染まないと考える次第です。

最終講義

 工学部などではよく「抽象的な理論はいらない、使える微分積分を教えて欲しい」という要望を出されることがあります。時間が限られているのだから極限とは何か、そもそも実数とは何か、なんてSFじみた話はいいから重積分の計算技術だけ教えて欲しいといった感じです。私は反対ですね。計算テクニックなんてそれこそ必要になってから磨けばいいものです。大学で学問としての数学を学ぶ意義は「物事を考えるきっかけを与えること」だと思います。悪名高いεδ論法の善し悪しはともかく、少なくとも「極限操作」をすることにより物事が単純に、より透明になるといったことだけでも微分積分を通して理解してもらえたらいいなと感じています。こういう場面で数学が使われる、応用がある、という説明も必要かもしれませんが、大学では普遍的な学問としての数学を学んで欲しい。これが数学教授としての願いです。

 いろいろな思いが交錯して、力んでいる割には論点がはっきりしないかもしれません。空回りとの印象も否めません。悪しからず。「雑念」ということでご容赦願います。

 最後に3枚の写真についてコメント致します。

 1枚目は高等学院3年生のとき、1974年でしょうか。中庭で撮ったクラス写真です。米倉先生は2010年に86歳で亡くなりました。2枚目はホームカミングデー。学院の食堂、米倉先生の描いた絵の前で撮りました。そして3枚目は昨年3月、熊本大学を退職するにあたり最終講義をしました。「〇〇とともに30年」みたいなタイトルを潔しとせず、今の自分の研究テーマをそのままタイトルにしました。「KdV方程式の組合せ論」。まだ現役の数学者であることをアピールしたつもりです。