【思い出】「西原先生(元総長)を偲んで」 28期理事 友松猛

1977(昭和52)年卒 28期理事 友松猛 G組 法

「西原先生(元総長)を偲んで」 

 元早稲田大学総長西原春夫先生が2023年1月26日に亡くなられました。心よりお悔やみ申し上げます。

 西原先生に初めてお会いしたのは私が学院生だった時です。この時からの思い出など中心に本稿を綴らせていただきます。総長であられたご本人に対し、本稿では「西原先生」と呼ばせていただきます。また先生のご子息であり、学院で私の同級生であった西原博史君(元早稲田大学教授、故人)についても、私の友人であったとの自負から「君」付けで呼ばせていただきます。お許しください。

 なお、お別れ会の際に、西原先生が長い間早稲田大学交響楽団の名誉顧問であった、と西原博史君の奥様恭子様よりお聞きしました。学院時代吹奏楽部に所属していた私にとって嬉しい驚きです。

 

お別れの会にて

 祭壇は西原先生のご遺影を中心に花に溢れていました。白を中心とした花、花、花。2023年1月29日東京都杉並区JR荻窪駅近くの光明院で行われたお別れの会に私も参加させていただきました。宗教に拠らず、また特定の個人名や団体名の花輪は見当たりません。献花に協力した個人・団体の名称等は著名人を含めすべて均等サイズのボードに掲示されていました。参加者・関係者全員が等しく先生をお送りしたいという気持ちにさせてくれる会だと感じました。先生の著書なども飾られており、法の下の平等という言葉を再認識しました。

西原先生との学院での出会い

 私が学院3年生だった時です。法学部に進むことを考えている学院生に対して西原先生がお話をしてくださるというイベントがありました。別のクラスであったため頻繁ではなかったにせよ時々会って話をしていた当時同級生の西原君とこの講座に出ました。大講堂ではなく、通常のクラスルームに数十人の希望者が集まりました。法制度が未熟であった過去には拷問という方法が多く用いられた歴史について、海外(確かドイツだったと思います)の博物館に展示されている過去の拷問器具を見た感想などとともに、法というものがいかに大切であるかユーモアを含めお話されていたことが印象的でした。

 講座の後、西原先生にご挨拶とお礼をさせてもらいました。西原君と私に交流があることを知ると私の自宅まで先生ご自身の車と運転で送ってくれると言って下さいました。遠慮というものを知らない学院生の私は、「やったー!」とばかりお言葉に甘えました。

オーストラリアでの西原先生との会食

 1989年に西原先生はオーストラリア・シドニー大学の名誉博士になられました。この関係からシドニー大学にお越しになられ、在シドニー早稲田大学関係者・卒業生を含めた夕食会がシドニー大学主催で開かれることになりました。当時私は仕事でシドニーに駐在しており、この会に招待されるという栄誉に与かりました。

 数十名の参加者による正装によるフォーマルなフルコースディナーです。西原先生からは離れたテーブルで食事していたのですが、当時やっと30歳になったばかりで社会人になっても遠慮を知らない私は、デザートがサーブされたあたりでつかつかと先生の元に行き、ご挨拶とともに西原君とのこと、先生の車に乗せていただいたことなどを話ました。もちろん学院でお会いしたことを先生は覚えておられないと思いましたが、先生にお話ししたいと思う多くの方は大学関係のことを話題にするのでしょうか、学院のこと、西原君のことを切り口に私がお話ししたことに先生は驚き(「そちら方面のお話ですか!」)、また興味深く思っていただいたようです。

 先日先生のお別れの会で私が喪主の西原恭子様にご挨拶させていただいた時、先生がシドニー訪問をいかに楽しまれたかお話しいただきました。もちろん私にとっても忘れえぬ思い出です。

比較的最近の西原先生について

 今回のご不幸のことを知るまで西原先生の最近のご活動について正直ほとんど知りませんでした。ただこれを機に先生が2019年に著された「明治維新の光と影―この歴史から見えてきた日本の役割(新版)」を読みました。

 この著書には法律に関する記述は含まれているのですが、それよりもメインなテーマとして、世界のうねりの中で作られてきた日本の歴史の長所と残念な歩み、そして日本が結果的に築いてしまった近隣諸国との不幸な関係について書かれています。その上で日本がこれから果たすべき平和に向けての役割を、ご自身が中国などと学術面で共同活動された経験を通して提案されています。

 西原先生と同世代であった私の亡き父も太平洋戦時中に青春を過ごし、当時の悲惨な経験ゆえ平和への希求を同様に考えていたように思います。この本を読んで父のことを思い出しました。

 学生たちにリアルな歴史を教え考えさせるという、西原先生がかなり以前から行ってきた講座をベースとしてこの本がまとめられたそうです。でもそれって、私が学院で西原君と共に西原先生から教えていただいた講座が源流になっているのではないでしょうか。そんなことをふと感じました。

他の卒業生から西原先生へのお言葉

 今回他の学院卒業生の方にも西原先生へのメッセージをお願いしました。うち2名のお言葉を以下に紹介して本稿のまとめとさせていただきます。

〇72期(2021年3月卒) 松﨑滉生さん

 この度はお悔やみ申し上げます。西原総長がご尽力された早稲田大学法学部の運営のおかげさまで、私は現在法学部で学ぶことができております。ご冥福をお祈りします。

〇5期(1954年3月卒) 佐々木誠吾さん

早稲田大学高等学院の半世紀を祝う会

 この度の西原元総長の訃報は惜しまれてなりませんが、西原春夫総長時代に、われら5期生が孔子が謂うところの天命を迎えるにあたり、「早稲田大学高等学院の半世紀を祝う会」と称して帝国ホテルで祝賀会を盛大に催しました。右の写真は、来賓の中で西原総長からご祝辞を頂いているところです。昔のことですが、当日は母校、学院の先生方を招き、同期の連中と、その他で650名以上の出席者があって、天命を迎えた人生の意義を称え、高揚して楽しく歓談、会食の宴を執り行いました。ドラマーのジョージ川口と、その楽団の演奏などを聴きながら、銀座のクラブ、白いバラのホステスの30名余が接待してくれたりして賑やかでした。学院卒の五期の友達たちとの忘れがたい思い出のひとコマです。西原先輩とは、政経学部の酒枝義旗教授の大学院研究室で、有志の五、六人が集まって夜遅くまでドイツ語の勉学に励んだ思い出があります。その中に法学部で助手だった西原先輩がいました。西原先輩はその後ドイツに留学するまでに。改めて西原先輩のご冥福を、お祈り申し上げます。

 小生、会津八一の愛弟子植田重雄教授の創刊した短歌同人誌・淵を主宰して17年になります。会津八一の系譜で、淵は隔月で発刊されています。そんなわけで西原先輩の逝去を知った時に詠んだ和歌がありますが、そのうちの一首を末尾に載せて下されば幸いです。

「ふりあほぐ君がみたまは春のそら高くのぼりて天つみくにに」