【今思うこと】「学院の思い出と絆」 33期 八木澤一郎

1982年(昭和57)卒 33期 八木澤一郎 B組 理工

学院の思い出と絆

思い出

 昨年還暦を迎え、すでに学院入学からは、半世紀近い45年が経過している。ホームカミングデーで久しぶりに学院を訪問したが、中学部の校舎が建ち、講堂も新しくなって、かつてとだいぶ様子が変わっていた。しかし、当時の面影を残す校舎もあり、懐かしかった。

 今でもはっきり覚えているのが、上石神井の学院校舎で行われた入学試験の2次試験のこと。晴れ渡った中、試験会場である教室の窓から、美しい富士山がはっきりと見えた。元来、作文は苦手であったが、富士山のおかげか、晴れやかな気分で筆も進み、何とか試験を乗り切り、無事合格した。しかし、入学後も、作文の苦手意識は拭えず、伊藤助松先生の作文の授業では、平均点を超えることはなかったと思う。

 選択科目はフランス語と美術を選んだので、B組となった。担任は、化学の松尾毅先生。そこから3年間、だれ一人欠けることなく、受験勉強から解放された、3年間の楽しい学院生活を送ることができた。

 部活は、競走部を選んだ。競走部では、当時東伏見にあった大学競走部のグランドを拝借して練習しており、大学生だった瀬古選手を間近で見つつ練習したのも、懐かしい思い出である。当時、学校行事としては、修学旅行を始め、一切の課外授業がなかったので、唯一、部活の合宿が、学院時代の旅行であった。競走部では、大した記録は残せなかったが、早慶戦や、六大学対抗陸上に高校の部として参加し、旧国立競技場を何度か走ったことも、付属校の学院だからできたことである。

 

還暦記念クラス会

 卒業後も、わがクラスでは、4年に一度のオリンピックイヤーに幹事持ち回りで同窓会を開いている。コロナ禍で一度だけリモート開催になったが、途切れることなく、続いている。

毎年だと負担だが、4年に一回というのが丁度よかったのではないだろうか。担任の松尾先生は、残念ながらすでにご逝去されているが、お元気な頃は、毎回参加いただいた。

  昨年は、還暦イヤーということで、イレギュラーであったが、同窓会を開催した。私も幹事の一人として、準備を進めたが、はるか遠方の鹿児島から駆けつけてくれた同級生も含め、総勢30名以上が集まり、ゲストには、我々にとって第二の担任ともいうべき栗山雅史先生をお呼びして、盛大に還暦を祝った。

 みな、学院時代に戻ったように、話も弾み、あっという間の3時間であった。途中、学院同窓会広報委員の山口真一君のビオラを伴奏に、早稲田の栄光、校歌を斉唱し大いに盛り上がった。

 次回は、今年開催ということになり、今後は、毎年開催になりそうな雰囲気である。

 

益々深まる絆

 最近になって、学年の枠を超えて、学院の絆を感じることが多くなった。

 先日、仕事上の付き合いがある、理工学部電子通信学科出身、研究室も同系統である早稲田OB3人で杯を交わす機会があったが、全員学院出身で、当日の話題も、もっぱら学院時代のことが中心であった。

 そこで、「学院あるある」であるが、必ずと言っていいほど、何組かの話題となる。私がB組と言うと、即、「じゃあフランス語だ」と反応してくれる。そして、皆、定期的に同窓会を開いているという。

 また、最近は、現役学院生が、野球等で活躍しているので、直接応援に行ったり、グループLINEで結果のやり取りをしているのも、共通であった。

 定年退職後を見据え、最近は、地元の市川稲門会の活動にも積極的に参加しているが、学院の先輩とは、やはり同じような話題のやりとりになる。

 また、今年1月の市川稲門会新年会では、ゲストとしてワセオケOBに演奏をお願いしたところ、なんと、メンバーの1人がクラスメートの山口真一君で、偶然の再会に驚きつつ、参加者一同素晴らしい演奏に感激した。

 これら全てが、学院が取り持つ縁、これまでの人生60年の内、学院に通ったのはたった3年であるが、歳を重ねるごとに、自分の人生の中で、学院の存在が大きくなっていくようである。