【追悼】 河野洋平さん (6期) からのメッセージ「先輩から後輩諸君へ」 33期理事 山口真一
1982(S57)卒 33期理事 山口真一 B組 経済
卒業以来、学院同窓会の理事を拝命している私にとって「学院の宝」として勝手に私淑させていただいていた河野洋平さんが去る6月8日に89歳で他界されました。個人的に教えを受けたわけではありませんが、偉大な先輩の存在そのものから多くを学んできました。その方がもうこの世にいないことで寂しさが募ります。

ちゃんとお見送りができればと思っていたところ、運よく6月16日に30期山口一臣理事と個人事務所に伺えたおかげで、28期友松理事と38期の森木理事とともに8月5日にホテルオークラで行われた「河野洋平を偲ぶ会」、9月14日に大隈講堂で行われた「河野洋平氏に感謝を伝える会」に参列することができ、あらためて大先輩の生き様に触れることが出来た次第です。
思い起こすと、ほぼ半世紀ぐらい前になりますが、1978年の暮れに突然父が東京へ転勤となり、それに伴って北九州の中学から何もわからないまま学院に入学した私にとって、学院の空気に慣れるのには少々時間が必要で、万事に戸惑っていた記憶があります。そんな心細い日々を送っていた1年生の秋に、学院設立30周年記念講演が学院講堂で開かれ、そこに河野洋平さんが颯爽と現れたのです。 新自由クラブを立ち上げて4年目くらい、40歳前半の頃だと思いますが、本当にまばゆいばかりのオーラで、霞が少し晴れたように思えたことが昨日のことのようです。
本当にカッコよかった。
この講演で話された後輩へのメッセージは「ミカン箱」の話として、いまだにクラスの仲間たちもよく覚えています。幸い、1979年11月1日のこの講演内容はそのまま30周年記念誌に掲載されておりますので、この機会に同窓会の皆様と共有させていただきたいと思います。
故・河野洋平先輩からのメッセージ「先輩から後輩諸君へ」
何よりも30周年おめでとうございます、と最初に申し上げます。
先輩づらをして後輩諸君にものを言うのは、余り気が進みませんが、私なりに心がけていること、その他を少し申し上げたいと思うんです。きょうは長島院長先生初め、私の学院時代にご指導をいただいた先生方が、前の方にお見えでございまして、しゃべりにくいところはございますが、そこは心臓で乗り越えて(笑)少しおしゃべりをさせていただきます。
学院時代の友人たち
私は六期の卒業生でありますが、やはり何といっても学院時代の同級生、同窓生というものはいいものだし、そして意外なところに意外な友人を見つけるのはとてもうれしいものです。最近、評論家、あるいは学者として活躍をしている西川潤君も私の同期でございましたし、在校生諸君はもう余り知らないかもしれませんけれども、われわれの同じころの年次で、一時芸能界で活躍をしていた大辻司郎君がおりました。大辻司郎君は、お父様は大辻司郎さん。その息子さんで、中学のころから私の先輩だったんです。大学を卒業するときは、私の方が途中で追い抜いて先輩になりましたけれども(笑)、彼とは中学、高校、大学、ずいぶんつき合ったものです。社会に出てから、彼は伊志井寛先生の門下に入って大辻司郎という名前をもらって、一時、芸能界・舞台・映画でずいぶん活躍しました。彼は不幸な死を遂げられましたけれども、大辻君なども、とても温かみのある得がたい友人でありました。
あるいはまた甲子園大会を見るたびに思うことですが、学院はちっとも出てきませんけれども——野球部の諸君に奮起を促したいと思いますが——それはさておき、甲子園大会で球審をやり塁審をやって、あの暑いさなか、どっちが勝っても黙々とストライク・ボール、アウト・セーフと言っている人の中に、西大立目さんという人がいます。名前が不思議なんで覚えている人もいるかもしれませんが、あの西大立目君などは、ぼくらと一緒に学院で学んで、野球部員で体の大きなファーストだったことを私は覚えています。あるいはプロ野球に行った人の中では、森徹さんもいますし、何人かの学院出の優秀な人が、それぞれの分野で活躍をしておられます。
いま私は、在校生諸君に、そういう人もいるのかと思ってもらいたいから、あえて新聞その他に活字が出るような人の名前を挙げましたけれども、実際は新聞などに名前が出なくても、もっと優秀な、もっと大切な、もっとすぐれた、もっと温かみのある同級生、友人がたくさん輩出したのが高等学院時代だったんです。戸山町の校舎——というよりは穴八幡の下と言った方が、われわれの仲間では正しかったわけです。三福庵のそばだと言う方がもっと早かったわけですけれども、いずれにしても校舎の周りをぐるぐる回りながら、いろんなことを話し合った友人は、貴重な人生の財産ですね。学生諸君にはぜひ、その財産をいま一生懸命つくっているんだという気持ちを持ってもらいたいと思うんです。授業に出て勉強することももちろん大事です。しかしそれと同時に、大切な友人をつくっている、長くつき合える友人をつくっている、そういう気持ちも、いつもどこかに持っていてもらいたいと願うんです。
在野の精神
世の中に、もうこれで満足だということがあるかどうか、というのは人それぞれの気持ち、心がけの問題だと思うんです。なぜかというと、満足というのは、ひっくり返すと「あきらめ」という字に似ているという話があります。あきらめてしまえば物事満足なんです。もっとがんばってと思うけれども、まあここらでいいやという気持ちが自分の心の中に出てくれば、それは満足ということになるんです。満足とあきらめというのは、ある意味で裏表です。しかしいつでも、もっとがんばろう、もっと何とかしてやろうという気持ちがあれば、いつでも満足のちょっと手前にあるはずなんです。
別に先輩づらをして、大学の、あるいは早稲田の精神を在校生諸君に説くつもりはありませんけれども、「在野の精神」というのが早稲田ではいつも言われます。エスタブリッシュメントじゃない、いつでも体制からちょっと離れて、体制を厳しく見詰めて、もっといいものをつくろうという気持ち、そういうものを、われわれの先輩は多く持っておられた。その気持ちが、それぞれの分野でそれぞれの活動レベルを少しずつ押し上げる原動力になってきたと思うんです。学問の分野もそうです。芸術の分野もそうです。それはさまざまな分野で、在野の精神を持って、いままでなかったものを開拓する、つくり出す、見つけ出す。そういう努力は、「ああ、余は満足じゃ」と言っていたのでは、決して出てこないでしょう。そして「まあいいや、ここらがほどほどだろう」、そういう気持ちからは、そんなものは出てこないはずです。満足感、満足感、そんなものを私は持ちたくない。いつでも自分を、ある意味で、過酷な言い方をすれば、飢餓の状態に置いて、「何とかならないだろうか」、こう考える、そんな生き方を、私は今日までしてきました。
新宿の駅で、あるいは上石神井の駅で、大ぜいの人が電車からおりて、ぞろぞろ一つの道を歩き出す。在校生諸君も、毎朝かばんをぶら下げて、そのぞろぞろ歩いていく人の波の中に自分の身をゆだねて、前の人の背中を、あるいは前の人の足元を見詰めながらぞろぞろ歩けば、やがて校門に、あるいはやがて教室に到着する。そういう人の列、人の波、そういうものの中に自分を置く。365日そういう流れの中に身を置いて、横道〔判読要確認〕もせず寄り道をもせず、流れに乗っていることが一番無事だな、こう思いがちだと思うんです。
ミカン箱哲学
私は在校生諸君に、「ミカン箱哲学」という話をしてみたい。
毎日ぞろぞろ流れている人の列の中に、頭の中でミカン箱を置いたつもりになって、そのミカン箱の上に乗っかって、人の流れ、人の列から自分の頭を一つ上に出して、周りを見渡してもらいたい。そして人の流れの中から頭一つ上に出して周りを見渡してみると、こっちへ行けばもっと近い道があるじゃないか、あるいはこの箱をちょっとどければ、もっと流れは速くスムーズになるじゃないか、もうちょっと待てばもっと真ん中が歩けるじゃないか、もう少し急げば前が開けてくるじゃないか。ぞろぞろ流れに乗って歩いているときには見えなかった何かが見えることがある。ミカン箱の上に乗っかれば、必ず見えるというものではありません。10回やって9回は見えないかもしれない。しかし一回はそういうことが見えるかもしれない。頭の中に、ポケットの中にミカン箱を一つ持っていて、時として、平凡な、ただたんたんとした流れの中で、自分がミカン箱の上に乗っかって周りを見渡してみる、そういう気持ちをぜひ持ってもらいたい。10回のうち9回だめかもしれない。しかし10回のうち、たった1回新たな道を発見する、あるいは新たな矛盾を発見する、新たな間違いを発見することがあるかもしれない。その努力はぜひやってほしい。
長島茂雄という読売の選手は、監督としては余りいい監督じゃないのかもしれない。しかし彼の選手時代に、長島というのはやっぱりすばらしい三塁手だといわれました。多くの人が長島三塁手を評価した評論の中で、プロフェッショナルな野球の選手は、バッターが球を打つ中で、これは自分のところに来るな、そのくらいはみんなわかる。しかし打球音と同時に、これは自分にとれる球かとれない球かを判断して、これはとれない、二遊間を抜かれるというときには、もう腰に手をやって知らぬ顔している。球は抜けていく。打たれた瞬間に、抜かれるか抜かれないかをきちっと察知するというのが一種のプロフェッショナルなんだという説があるけれども、長島という人は、職業意識、職業的な研ぎ澄まされた感覚からいって、打たれた瞬間に、これはとれない、抜かれると思っても飛びついてみる。抜かれると思っても飛びついてみて、やっぱり抜かれた。それを見て、ある評論家は、「とれないことがわかってるくせに飛びつきやがって、オーバーなやつだ」と、こう言う人もいるけれども、だめだと思っても飛びついているうちに、1回ぐらい小石にはねて、とれないはずの球が、自分の方にラッキーなバウンドをしてとれるということがあるかもしれないじゃないか。100回飛びついているうちに、本来なら100発取れない球がとれるようになるかもしれないじゃないか、という可能性を求めて飛びつく。
60代、70代の人がきょう記念講演に来れば、小野道風のカエルの話をしたんだと思いますけれども、むしろ長島のあのダイナミックな守備、そういう説明をした評論家の話に興味を持ちましたから、皆さんに申し上げるんです。しかしもう少し若い講師が記念講演をすれば掛布の話をしたかもしれない(笑)。それがジェネレーション・ギャップというものだからやむを得ないかもしれないけれども、小野道風のカエルであっても、長島であっても掛布であっても言わんとすることは大体そう違うものではない。可能性を求めて飛びついている。最初から「おれはプロフェッショナルなんだ。あれはとれないんだ」——なるほどあいつがピクリとも動かなかった、あいつがピクリとも動かないんだから、やっぱりあれはヒットなんだというプロフェッショナルというものもあるかもしれない。しかしそれを越える何かを求めようとすれば、やっぱりがんばってみるということは大事なことなんじゃないだろうか、私はそう思うんです。だから私はミカン箱をぜひ頭の中に準備して、そのミカン箱の上に乗ってほしい、周りを見渡してほしい、こう諸君にお願いしたい。
驚き
私はまた、在校生諸君にいろんなことを注意して何となく気がひけるけれども、若い諸君を見ていると、本心から驚くということが、最近少なくなっているんじゃないだろうかと思うんです。もっとびっくりする気持ちというのを持った方がいいんじゃないだろうか。
きょう諸君は大変物知りになって、一日に二、三時間もテレビを見ていると、大変世の中のことが全部わかる。だから余り驚かない。テレビを余り見ていない人が、ときどきテレビを見てびっくり仰天するんです。ハンググライダーなんていうのを見て、人間が空を飛ぶようになったと驚くんです。しかし諸君は全然驚かない。私には、それがちっともおもしろくない。もっと驚いた方がいいんじゃないかと私は言いたい。郵便ポストにはがきを入れたら、なぜそのはがきが向こうに着くのかということを、諸君はちっとも驚かない。あんな変なものの中にはがきをほうり込んだら、そのはがきが確実に、二日もたてばあて先を書いたところにわずかな値段で届いている。驚きじゃないだろうか。テレビで写真が動くのは、もっと驚きだというのが本当かもしれないけれども、つまり私は、驚きというのは、心の新鮮さだと思うんです。何を見ても「そういうことはあるよ」「そういうこともあるさ、どうってことはないや」——どうってことはないなら、自分の人生も大してどうってことはなくなるだろうと思うんです。もっと心の中に、いつでも新鮮な感受性みたいなものを持ってほしいと、私は願う。その新鮮な気持ちというのは、驚き。朝から晩まで、しょっちゅう驚いていられても困るけれども、やっぱり「なるほど、そうか」——その驚きが、一つの生きがいというものを見つけ出してくれる役割りを果たすことがある。知らないことを急に知る。それは一つの驚きのはずなんです。
しかし「世の中にはおれの知らないことはいっぱいあるんだから、そう一々驚いては生きてられないや」と思って、どんなことに出くわしても、近ごろはちっとも驚かない。しかしなぜそうなるんだろうかと興味を示す、どうしてと聞いてみる、驚いてみる、そういう気持ちというものは、恥ずかしいことではもちろんないし、むしろ自分にとってとっても大事なことなんだ、と私は皆さんに申し上げたい。そういうことが「在野の精神」というものを支えているんじゃないだろうかとぼくは思うからなんです。
何事も長いものに巻かれて、もうでき上がっている体制の中で、自分がどううまくやっていくか、それも大事なことだ。自分がどうにもそういうものの中で動けるような順応性を持たないということでも困る。しかし生活の中で順応性を持つということと、在野の精神というものをいつでも持ちながら、もっといいものはないのか。あるいはどんなものでも間違いがあるだろう。その間違いをみんなが正しいことだと、自分自身を納得させながら生きていくというんじゃなくて、間違っているなら間違っているんだということを、青年らしく言ってみる。そしてそれはなぜ間違っているのか、なぜその間違いが間違いでなく通用するようになってしまっているのかということを探求してみる。そういう気持ちというものは大切なんじゃないだろうか。
先輩づらをしないつもりが、だんだんしてきて申しわけないけれども、私は、在野の精神というものを、在校生諸君はもっともっとどういうものであるかということを知るために勉強してほしいと思うんです。なぜ私がこんなことを言うかというと、諸君は、早稲田を選んで集まられたと私は信ずるからなんです。中には、おれは別に選んで来たわけじゃないんだ、すべりどめで入ってしまったんだという人もいるかもしれない。そういう人は、これからすべらないように努力をしていればいいんだけれども、選んで早稲田に集まられた諸君は、理由はさまざまであるかもしれないけれども、諸君があえて早稲田という学校を選んで集まられたのなら、在野の精神がつまらないならなぜつまらないのかを知る事で、在野の精神というものを探求するということを私はお勧めしたい。
近ごろは高等学院も、われわれのころと違ってなかなか勉強はお忙しいようでございます。私のころも忙しくなかったわけじゃありませんけれども、昔に比べればはるかに勉強は大変であるかもしれない。しかしどんなに勉強が大変であっても、高等学院の教室で教わって試験の点をとるための勉強と同時に、早稲田とは一体何なんだ、その早稲田の伝統として、精神として脈々と伝えられている「在野の精神」というものは一体何なんだ、ということの探求は、ぜひともやってほしい。それは何も、図書館に行ってそういう本をひもとくということだけではなくていい。それもやったらいいけれども、それだけである必要はない。それぞれの場所でそれぞれの人たちで議論をするがいい。あるいは読書をするがいい。そしてその何たるかをきわめて、それにほれ込んで進むもよし、こんなことはくだらぬことだといって棄てて進むもよし。しかし早稲田に集まった諸君は、在野の精神の何たるかだけは知る必要がある。それは世界史で百点をとるより大事なことだと、いまだから言える(笑)。そうでなければ、苦労して上石神井まで来ることはないじゃないか。戸山の高等学校へ行っていればいいんだ。諸君がわざわざ早稲田の高等学院に集まってきたのは、ここにいれば大学へうまく入れるだろうという下心もあるだろう。しかしその下心は何かと言えば、もっと入れるであろう早稲田大学で学ぼうという気持ちであるならば、当然その大学の伝統というものを知る必要があるではないか。まして大学へ入るのに、他の高等学校のような死にもの狂いの、気違いじみた勉強をするという時間を割いて、諸君はそういうことを考える時間的余裕が与えられているはずだ。
私が先ほど言ったミカン箱哲学なるものは、上石神井の駅からぞろぞろと学校まで歩いてくる途中でミカン箱の上に乗れと言うだけではなくて、高等学院の3年、大学の4年、計7年間、たんたんと進むその中でも、ミカン箱の上に時として乗ってほしいと思うから、私は諸君に申し上げた。そうして諸君はやはり早稲田大学で学の薀奥をきわめるかどうかしらぬけれども、その校風の中で青春の一時期を過ごす好運にいま恵まれているんです。「好運じゃない、実力だ」こう言う人もいるかもしれないけれども、やはり諸君が高等学院に学んでいるのは、ご父兄の皆さんを初め、やはり諸君を取り巻く環境というものが、諸君をここに学ばせている一因としてあることは間違いない。
私は、高等学院時代、竹野院長先生の訓辞を何回か聞いたことがある。竹野先生は、われわれに「高等学院生は早稲田の中核にならねばならぬ」といつも諭された。「学院生は早稲田大学の中核を担うのでなければいけない。それでなければ7年間早稲田の名前のもとに学ぶ意味がない」と、われわれはいつも竹野先生に叱咤激励されました。中核になれるかどうか、反省することしきりですけれども、その竹野先生の言葉を長島院長先生は日ごろから言っておられるかもしれないけれども、私からも「ぜひ早稲田の中核を担ってほしい、早稲田大学のど真ん中に座ってほしい」ということを、諸君に心から希望したいんです。
最初に「2時間ぐらい話をしたらどうだ」という話がありましたけれども、「とても一時間話す自信はありません。私が1時間話したら、半分ぐらいは居眠りするでしょうから、そんな能力ありません」と言って、値切って30分にしてもらいました。ご安心いただきたいと思います。
もう大体30分になったんでやめなければなりませんけれども、私は、早稲田大学の高等学院に学んだ人間の一人として、この30周年記念式典に出席できたことを誇りに思うし、そしてこの誇りが本当の誇りであり続けるためには、もっともっと学院の諸君に、後輩を指導するためにがんばってほしい、そう思うんです。
最後に
私は最後に、私を指導してくださった学院の先生方、そしてともに学んだあの当時のわんぱくども、本当になつかしいよき時代でした。いま考えてみるとおもしろかった。軟式野球部なんていうのは愉快な連中がいて、外野でノックを受けると必ずトンネルするやつがいる。外野がノックをトンネルすると、必ず学習院の女子部がいて、球を拾ってくれるというんで、そこへ行ったら必ずトンネルするんです(笑)。私の同級生でちょっととんきょうなやつがいて、余り目がよくないものだから、そこにいる学習院の女性がきれいに見えたらしくて、必ずトンネルするんです。トンネルしては帽子をとって「どうもありがとうございます」とそこに行く。同じ日に何回もトンネルする。翌日彼がしょんぼりして出てきた。「どうしたんだ、元気がないな」と聞くと、「きのうトンネルして球をとりにいって、べっぴんさんにおじぎして、家へ帰ったらおれの姉さんだった」という話がある(笑)。そんな間の抜けたのもいっぱいしましたけれども、しかしおおむね善良なよき友人たちが多かった。
今日、在校生諸君に、私は、どうぞ友人を大事にし、長くつき合うために、3日や1週間、あるいは学院時代の3年間うまくつき合おうなんていうそんな薄っぺらなつき合い方はしなさんなと言いたい。10年、20年、あるいは50年つき合えるような厚みのあるどっしりした友人。そのためには深い、深い、もっと、本当に本音のつき合いをして深いつき合いをする、そういう友人関係をつくりなさい。やっと試験のときに答案を見せてやって仲よくなるなんていう、そんな薄っぺらなものじゃなくて、どうせやるなら、ともに落第するくらいの覚悟でやった方が、友人関係の絆は深くなるかもしれない。
どうぞよき友人を得、よき伝統を踏襲し、いつも空腹ぎみで、決して満足になどあぐらをかかずに、もっとよいものはないか、もっと確かな真理は……、もっとレベルを上げるためには自分がどうすればいいか——、言っておくけれども、決してもっとよくなるためにあいつがいなくなればいいのだなどと言うべきでない。もっとレベルを上げるために、自分はどうすればいいかということをいつでも考える。そういう人生観を私は持っているつもりだ。諸君の中に、そういうことに共感し、共感を持ってくれる人がもしあれば、私はうれしい。先輩としては、諸君がそういうことを心のどこかに持ちながら、これからの学院生活を送ってほしい。
お招きをいただいた手みやげは、頭の中に描いてほしいミカン箱一つ。諸君の今後のご健闘を心から念じて、本日のおしゃべりとさせていただきます。(拍手)
最後に、長男の河野太郎さん(衆議院議員)のお言葉も添えておきます。
「自由民主党で10年、
引退後も稲門体育会や中央競馬振興会などさまざまな活動を楽しくやっておりました。また、いっしょに旅行したり、食事をしたりできる友人、仲間にもめぐまれていました。




