【我が人生】 「ジャズとサッチモのロマンに魅せられて……」 13期 外山喜雄

1962(昭37)卒 13期 外山喜雄 D組 経済

 

ジャズとサッチモのロマンに魅せられて……

〜Our Jazz, Satchmo and New Orleans〜

 

学院でジャズに出会った

 私がデキシーランド・ジャズを演奏するようになって半世紀以上になる。ジャズの王様 “サッチモ”ことルイ・アームストロングに憧れ、大学のジャズサークルで出会った家内、外山恵子(昭40卒 文学部)とともに、1967年、移民船に乗ってジャズの故郷ニュ―オリンズに渡り5年間のジャズ武者修行、以来夫婦でジャズを演奏してきた。

学院時代

 私がジャズとサッチモの虜になったのは学院時代だ。ブラスバンド部に入部、 トランペットを吹くようになって間もない頃に見たジャズ映画の数々……『五つの銅貨』『グレン・ミラー物語』『ベニー・グッドマン物語』『サッチモは世界を廻る』『真夏の夜のジャズ』……。学院のブラスバンドでは、1年先輩で光り輝く名トランぺッターだった奥山康夫氏(12期 A組 商)に憧れ、ラッパとジャズを教わり私のジャズ人生が始まった。授業が終わりブラスの練習、その後奥山さんに連れられて渋谷にあったスウィング・ジャズやデキシーランド・ジャズ専門のジャズ喫茶『渋谷スウィング』に通いつめた。家族は父の勤務の関係で宇都宮にいて、私は祖母と二人の東京暮らし。これが幸い(?)して毎晩10時過ぎの帰宅を怒られることもなかった。奥山さんは後にオリエンタルランドに入社され、東京ディズニーランド開園の立役者として大活躍、専務まで務められた。

ジャズ天国への船出

大学時代

 大学は政経に進み、奥山さん始めブラスの先輩が多く入っていたジャズサークル『ニューオルリンズ・ジャズクラブ』に入部、唯一の女子部員だった家内、外山恵子と意気投合した。最初のデートはもちろん『スウィング』、1963年64年とサッチモが来日した際も一緒だった。楽屋に潜り込み、サッチモに会い、ラッパを吹かせてもらったのも懐かしい想い出だ。

 ジャズへの興味は、いつの間にかジャズの歴史とサッチモの生い立ちへの強い憧れへと変わっていった。ジャズとサッチモが生まれたアメリカ南部の街ニューオリンズ。ジャズとサッチモの故郷をどうしてもこの目で見たい!! ニューオリンズに住み“ジャズの天国”を体験したい!! そんな想いに駆られて勤めていた損保を退職、夫婦でニューオリンズへ旅立ったのが1967年12月30日……移民船ブラジル丸に乗ってのジャズ天国への船出、そしてその後5年間のジャズ武

者修行の日々。1ドル360円、ドルもなかなか手に入らない時代だった。

プリザベーションホール ジャム セッション 1968

 すべてのジャズは、大天才ルイ・アームストロングに始まっている。ニュ―オリンズの黒人スラムに生まれ、黒人社会の伝統に育てられた若き天才が1922年にシカゴに進出し、ニューヨークへ、そして世界へとその活躍の場を広げるとともに、ジャズの人気は爆発的に高まっていった。サッチモに憧れ日本を飛び出した若い私たちを、ジャズの故郷は暖かく迎え入れてくれた。強烈にスウィングする黒人教会、街を行くジャズパレード、お葬式でもジャズを演奏しスウィングする『ジャズ・フューネラル』という独特の風習。私たちは、一生あの“ジャズ天国” での強烈な5年間を忘れることはできない。私たちが見ることができたのは、すべてのジャズの底に流れる大切なソールとエッセンス、そして、それをはぐくんだ黒人社会だった!!

サッチモの故郷への恩返し

銃に代えて音楽を

 お世話になったサッチモの故郷に恩返しがしたい。そんな夢から、1994年、銃や麻薬に囲まれて暮らす『サッチモの孫達』に日本から楽器をプレゼントする日本ルイ・アームストロング協会の活動を始めた。サッチモは少年時代に銃を発砲、少年院で楽器と出会い偉大な一生を送った。そのことを銃の氾濫で悩むアメリカの人々に思い出してもらいたい。日本から贈った楽器で第二第三のサッチモが生まれてくれれば……。『銃に代えて楽器を』の合言葉で始まった活動に多くの方々が楽器を贈ってくださり、日本通運の協力も頂いて25年間で850点を超える楽器をニュ―オリンズの子どもたちにプレゼントすることができた。ニュ―オリンズがハリケーン・カトリーナで壊滅的被害を受けた際も日本から支援活動、日本が東日本大震災に襲われた際は、ニュ―オリンズの人々が『今度は私たちが恩返しする番』と立ち上がり、津波で楽器をなくした気仙沼の子どもたちのジャズバンドに楽器が贈られ復活、その後楽器を贈ってくれたニュ―オリンズの子どもたちと、東北で被災した子供たちの相互訪問という青少年ジャズ交流も実現した。

 (関連リンク)ニューオーリンズと素晴らしきサッチモの世界

学院に育てられた

左から、私、角川氏、津田氏、 高野氏      (写真提供 : 文藝春秋 同級生交歓 1993)

 学院に入学して今年で60年になる。意識はあの若かった学院時代とほとんど変わらないような気がする。そしてまるで鋳型に入れられたように、自分の性格が決定されたのもあの時代だと何かにつけ感じる。ブラスの仲間には、奥山先輩を始め、部長で指揮者だった高野孟氏(ジャーナリスト 13期 C組 西哲)、マネージャーでフルートを吹いていた角川歴彦氏(㈱KADOKAWA会長 13期 D組 経済)ほか、同級生も各界で活躍する個性的な面々がそろっていた。我が道を行く、物おじしない早稲田と学院気質。

 学院で受けた影響がなかったら、そして早稲田気質いっぱいの家内に大学で出会わなかったら、このような無鉄砲な夢を追うジャズ人生を送ることはできなかったと思う。