【思い出】 「われらの《心のふるさと》へ 」 18期 杉山和久

1967(昭42)年卒 18期 G組 杉山和久 経済

「われらの《心のふるさと》へ」

 

 「 こんにちは」 はじめまして、杉山和久です。18期卒業です。画家をしています。画と言っても日本画家です。人生送るなかで絵に関わり、つきあっている時間がいちばん多く長いので画家であり、日本画に興味を持ち関心が深いので日本画家と言えると思っています。 いつか本当の画家と言える画家、本当の日本画家と言える日本画家になることを託して道を歩んでいます。雅号は麗羊(れいよー)です。

 ”心のふるさと” という言葉はとても大切な言葉です。自分にとって”ふるさと” とは何であろうかと考えてみました。 

  第一番に、自分が産まれた故郷である下町、祭り好きの江戸っ子気質の越前堀(中央区新川)です。鮨屋(香取鮨)の次男坊として区立明正小・中学校に通い育てられました。

  第二番目は、早稲田大学高等学院と早稲田大学です。

  第三番目は、富士山です。日本人すべての心のふるさととも言えます。年に一、二度富士山を描いてみたいと願っていますが、ここ二年はどうも足が箱根の方に向いてしまい、行きそびれています。箱根にはポーラ美術館、岡田美術館、日本画を収蔵している成川美術館などがあり、田中一村展など良い企画展もが多く、通い続けました。

  第四番目は、幾何学的なユークリッド、非ユークリッドに基づく形而上学的な終わりであり始めであるような場所です。

  第五番目は、胸中山水、中国の元や宋の時代の水墨画家達が大切にし求めた桃源郷です。

  第六番目は、ギリシャ語でアルカディアと呼ばれる場所で、西洋の画家達が好んで郷愁を込めて画を描いています。

  第七番目は、自分の心の奥底にある故郷、ドイツ語でエターダム(ある心的陶酔状況)。理想郷・ユートピアとも言えるハイマートです。故郷は自分にとって宝物であり、かけがえのない財産であります。

  現代の若者達は、多くの人が故郷喪失、ロストジェネレーションであり、帰るべき故郷を見失い、さまよって歩いていると思います。

  近年二度、第二のふるさとである学院へ、帰り訪れる機会が与えられました。

  一つは卒業50周年記念同期会で各クラスの代表幹事(わがクラスは野村一雄君)が集まり、話し合って行われました。もう一つはホームカミングディで学校から案内招待され、上石神井の土地を踏む事が出来ました。駅周辺の景観、環境、雰囲気は昔のままであまり変わっておりませんでした。学院へ入る小路の脇に(昔は建ってありませんでしたが)大隈重信公の銅像がありました。しばらく眺めていると、後ろから声がかかりました。同級の鵜沢孝治君が居ました。少し早めに着いたので一緒に校舎、教室、屋上等学内一周をする事になりました。ほとんどの教室は暗く鍵がかかっておりましたが一室だけ開いていました。野球部員の着替えのための部屋みたいで挨拶をして入らせてもらうと、机、椅子、黒板などは新品でしたが、雰囲気や匂いは変わらず昔そのままのように思えました。昔に帰った気分になりました。

 私たちのクラスはG組でドイツ語の最後のクラスで(H組からはフランス語になりますので)、半分は文芸クラス、もう半分は書道クラス、授業の時は別れて受けておりました。担任の先生は中尾一人先生で英語を教えておられ、もの静かな英国紳士のような方でした。退職後は小鳥屋を開かれていたと聞いております。 ドイツ語の授業ではシューベルトの野ばらをドイツ語で暗誦させられ、みんなで合唱、輪唱したことを憶えています。「レスライン レスライン レスラインロット」。その時の学友である河野通勢君と木島郎治君は大学卒業後ドイツに渡り、二人ともドイツ人の妻と結婚し、永久移住しております。木島君からは年賀状をもらったりしています。

  当時の学院長は岡田幸一先生で足が悪く、(足を)引きずっておられましたが、毎朝、暑いときも寒いときも校舎の前に立って、学院生の学生服、ボタン、学帽等を見ながら、一人一人に挨拶され、見守られていました。私服通学などは昔はまったく考えられませんでした。(水泳部の先輩等は裏側にあるもう一本の路から校舎入りしていましたが)

  ホームカミングディの一日は講堂で記念式典、年次報告、本杉秀穂学院長の式辞(山西前学院長とお会いできること心から楽しみにしていたのですが一年前の九月に退任、交代されていました)、山口同窓会理事長の挨拶等で始まりました。学院長のお話のなかで、軟式野球部が強くなり活躍し、全国準優勝を納めたと聞きました。硬式野球部も強くなり都大会ベストエイト、早実と争うまで成長したようです。同級生の野球部員は二人おり久住幸一君と平井三郎君が泥まみれに熱心に練習で励んでいました。久住君は前回の個展の時に見に来てくれて、平井君は前々回の個展に来て一枚画を購入してもらいました。早実との試合にも球場に応援に駆けつけたようです。式典後食堂に場を移し再会の祝杯をあげ、学院から大学の応援部入りし旗手をしている体格のよい新入生、チアガール等のエールを受け一日が終わりました。

 三年前の卒業五十周年記念同期会の時、自作「本栖湖」日本画20F(パネルサイズ)を寄贈献画致しました。20年前に描いたものです。実は 今年11月に個展を準備していたのですがコロナ禍のため来年に延期する事にしました。このような一文を書く機会を与えてくれて感謝しています。