【思い出】「 不思議な国 サウジアラビア」 22期 前田 淳

1971(昭和46)年卒 22期 B組 前田 淳 商

「不思議な国 サウジアラビア」

 

 私は1967年に学院に入学しました。第2外国語は仏語を選択しクラスはC組でした。高校受験は都立高校に学校群制度が導入された初年度にあたり、私が進学を目指していた高校に回されなかったので学院に入学することにしました。学院在学中はバンド練習に注力しました。中学入学直後からビートルズの大ファンだった私は、ビートルズの映画は30回以上観ましたし、1966年の武道館公演にも行きました。私の席は正面最前列で、前座で出演した、当時は無名のブルーコメッツのメンバーが私に何回も手を振るので振り返ったら、直ぐ後ろにザ・ピーナッツが座っていました。私はザ・ピーナッツのファンでしたが、その時は、前座の公演が早く終わることばかり考えていたのでサインを貰うことを忘れてしまいました。

 前置きが長くなりましたが、C組のビートルズ・ファンとバンドを組み、私はギターとバックコーラスを担当しました。3年生の春に、秋の学院祭での講堂への出演を決めるオーディションがあり、2組の出場枠に入ることができました。しかし、私は学院祭に参加しませんでした。理由は、その年の夏からアメリカの高校に1年間留学することになったからです。留学先はアイオワ州で、アメリカ人家庭にホームステイして現地の高校に1年間通い卒業しました。帰国後は、1学年下のB組に編入し2・3学期を終え1971年に学院を卒業しました。

 大学は商学部に進学し、ゴルフ同好会に入部しました。同期の人たちとは、今でも年2回ラウンドしています。就活では商社と銀行を訪問しました。応募用紙の大学の所属クラブ欄に「ローン・ゴルフ・クラブ」と書いたところ、ある銀行の面接官から「ローンとゴルフはどういう関係があるのか」と質問され「銀行はloan、ゴルフはlawn」と正しく発音しました。印象を悪くしたかと思いましたがこの銀行からは内定をもらいました。しかし、商社が第一志望だったので1975年に住友商事に入社しました。2016年に退職するまで、2年間の(社)日本貿易会(商社の業界団体)出向を除き石油・ガスのビジネスに携わりました。

  1989年から3年半サウジアラビアに駐在しました。同国は、イスラム教の二大聖地メッカ、メディナを抱えるイスラム教を国教とする王政国家です。イスラム教が生活の基盤となっているので、そのいくつかを紹介します。

【1日5回の礼拝】

 イスラム教徒は1日に5回(朝、昼、午後、夕、夜)メッカに向かい礼拝します。これは、イスラム教徒に課せられた五行(信仰告白、礼拝、喜捨、断食、巡礼)の一つです。礼拝中(約30分)は商店、レストランなど全ての店が閉まります。食事中であっても、礼拝が始まると一旦外に出されます。

【一夫多妻制】

 イスラム教は一夫多妻を認めています。これは、部族間抗争で増えた戦災未亡人を救済するため、扶養能力がある男性に4人までの妻帯を認めたものです。現在もこの制度は存続しています。私の運転手はパキスタンからの出稼ぎ労働者でしたが、本国では2人の夫人とそれぞれの子供が同じ家に同居しているとのことでした。コーラン(イスラム教の聖典)に、娶ってはならない女性として次のように明記されています。「自分の母親、娘、姉妹、叔母、姪、乳母、義母、継娘、正式の夫を持つ女性、但し、奴隷と戦争で略奪した女性はその限りにあらず」。

【イスラム教の女性観】

 イスラム教の女性に対する基本的思想は、女性は人類存続のための使命を課せられているので、労働せずに社会の生存競争を免れるべき、というものです。コーランは女性に対して「自分の夫、父親、舅、息子、兄弟、兄弟の息子、姉妹の息子、召使い、分別のない幼児以外の男性には決して顔を見せないよう」教えています。サウジ人女性は外出する際、全身を黒い民族衣装で、顔は目だけ出して黒いベールで覆います。数年前の日本のテレビ番組によると、サウジアラビアに進出した日本の100円ショップでのいちばんの売れ筋は女性のつけ睫毛とのことでした。

【豚肉とアルコール】

 イスラム教は豚肉とアルコールの飲食を禁じています。豚は腐肉、不潔なものを食し人間に有害な寄生虫を宿しているとの理由からです。アルコールは「人間は弱気がゆえに度を越し健康を害するので飲酒を慎むよう」コーランに書かれています。

【断食(ラマダン)】

 ラマダンはイスラム暦の9月のことです。イスラム教徒は1ヶ月間、日の出から日没まで一切の飲食、喫煙を禁止されます。水を飲むこともできません。これは、飢えや渇きという苦痛を忘れないために神が命じたものです。イスラム暦は1年が354日の太陰暦なので太陽暦より11日短く、季節が毎年ずれてきます。私が駐在中に現地の英字紙に掲載された主婦からの投書を紹介します。「日没後直ぐに食事ができるよう、日中から食事を作るが味見できないので困る」。これに対する聖職者の回答は「味見は舌でするもの。食材を舌に乗せ味見の後は飲み込まず吐き捨てるべし」。

 サウジアラビアでは、外人女性も外出する際は肌を出してはいけません。ジーンズは体の線が現れるのでご法度です。宗教警察が巡回しているので、サウジ人女性と同じ黒い民族衣装を着用することになります。ベールは着けませんが、髪はスカーフで隠します。レストランは男性用スペースと家族用スペースに分かれています。私が家族と外食する際は家族用スペースに案内されましたが、食事中のサウジ人女性は顔を隠したまま、ベールを上げて食べ物を口に運んでいました。日本から送付される雑誌に女性の腕・脚が露出した写真があると、その部分は黒く塗りつぶされていました。数年前にサウジで映画館が解禁されたとの報道がありましたが、どのような映画が上映されるのか知りたいところです。 

 中東諸国での駐在は制約が多いので、有給休暇とは別に年2回の休暇があり、会社が家族分を含めて駐在地とロンドン間の往復航空運賃と日当を支給してくれました。おかげで、私は家族と一緒に欧州各国を旅することができました。1回の旅行は約2週間でアメリカにも足を延ばし、高校時代の一時期を過ごした町にも行きました。 

 サウジアラビアとはアラビア語で「サウド家のアラビア」という意味です。1932年に国家統一を果たし、初代国王に就いたサウド家のアブドラアジズは26の部族から1人ずつ妻を迎えました。この内17人の王妃から36人の男子(第2世代)が産まれました。ちなみに、女子は27人。初代国王は、王位は兄弟で継承するようにとの遺言を残したので、第2代以降の国王は初代国王の次男、3男、5男、10男、11男で母親がすべて異なります。現在の第7代国王は初代国王の25男で2015年に即位しました。母親は第5代国王と同じ、初代国王が26人の王妃の中で最も愛したと言われるスデイリ家のハッサ妃で、この王妃は7人の男子を産みました(初代国王の母親もスデイリ家出身)。王位は終身制なので、国王の死去に伴い皇太子が国王に就き、副皇太子が皇太子になり、新たに副皇太子が選出されます。皇太子、副皇太子の選定に関するルールはなく、閣僚などの政府要職を経験した第2世代の中から王族内の話し合いで決められていました。しかし、王位継承権を持つ第2世代の高齢化に伴い、このままでは王位継承者がいなくなるので、私が駐在中の1991年に第5代国王は、王位継承者を初代国王の孫(第3世代)まで拡げる勅令を発布しました。また、2006年には第6代国王が、皇太子、副皇太子を選定する「忠誠委員会」を設置する勅令を発布しました。メンバーは、国王を除く初代国王の息子、故人の場合はその長男で合計35人です。

 歴代国王の治政の基本は「和を以って尊しとなす」であり、王族内の調和を保ち実質的な合議制で国を治めてきました。しかし、現国王は独裁的な人事を行いました。国王即位後に皇太子となった初代国王の35男(現国王の異母弟)を更迭、その後に第3世代で初めて皇太子となった同腹の兄の息子を解任、そして、自分の息子を皇太子に任命しました。しかも、副皇太子は空席で皇太子に権力を集中させました。現皇太子は、現国王の3人の王妃から産まれた12人の男子の1人で、異母兄に現エネルギー相、NASAの元宇宙飛行士などがいます。現在34歳で副首相、国防相、経済開発評議会議長を兼務しています。皇太子、副皇太子の人選に際しては年齢、実績、資質が重視されてきましたが、現皇太子については年齢と実績が完全に無視されました。

住友商事社長とサウジ国営石油会社総裁の面談の様子が同社社内報に掲載されました

 サウジアラビアでは「憲法はコーランとスンナ(預言者ムハンマドの言行)である」と「統治基本法」に規定されていますが、成文化された憲法はありません。立法権は唯一国王に帰属し、議会は存在しません。議会に代わるものとして「諮問評議会」がありますが、議員は国王が選任します。

 行政に関しては、国王が首相を兼務し各省大臣の任免権は国王にあります。主要閣僚、駐米・駐英大使、国内13州の知事・副知事には王族が配置されています。こうしたことから、サウジアラビアは「世界最大の同族会社」と言われることもあります。現在存命中の第2世代は少なくなりましたが、第3世代はプリンス254人、プリンセス250人、第4世代はプリンス353人、プリンセス363人(人数は1999年時点)。これからも第4世代以降の王族はネズミ算のように増えていきます。王族の人数は、初代国王の直系だけで数千人、初代国王は10人兄弟だったので全体では1万人とも2万人とも言われています。現国王は84歳で健康に不安があり、現皇太子が第8代国王に即位する日はそれほど遠くないように思えます。

 現皇太子は就任以来、石油に頼らない国づくりを目指し、産業の多角化を図る政策を打ち出すなど急進的な改革を推進しています。女性には禁止されていた自動車の運転免許も許可しました。所得税などの個人に対する直接税はありませんが、原油価格の低迷および人口増加に伴う財政難(国民の医療費、教育費は無料)から、2018年に5%の付加価値税(日本の消費税に相当)を導入しました。この付加価値税は、本年7月から更に15%に引き上げられました。

 一方で、現皇太子は、2017年に第3世代のプリンスを含む改革に対する抵抗勢力を逮捕、本年3月には現国王の同腹の弟(忠誠委員会メンバーで現皇太子の就任に反対した)と前皇太子を拘束しました。現皇太子への権力集中に不満を抱く王族は少なくないと思われます。付加価値税の導入は、国民に政治参加への意識を目覚めさせたと考えられます。現皇太子はこれらの不安定要素を抱えており、サウジアラビアの石油に依存する日本は、同国の王政の行方から目が離せません。

最近の筆者

 

サウジアラビアには観光ビザがありませんでしたが、現皇太子は観光産業を育成するため、昨年、観光ビザの発給を解禁しました。私は、来年古希を迎えますが、元気なうちにサウジアラビアを再訪できることを願っています。