【今思うこと】 「弓道讃歌 -80歳の青春- 」 10期 黒川道夫

              1959年(S34)卒 10期 C組 黒川道夫 政治

自宅近くの市立弓道場にて

弓道讃歌 -80歳の青春-

弓道との出会い・学院時代

 昔から運動することが至って苦手で、誰もが普通に楽しむキャッチボールすらやったという記憶がありません。そんな私ですが、昭和31年(1956年)に高等学院に入学したことで弓道との縁が生まれました。それは大学入試という将来の難問から解放された環境で何か始めたいと思ったことです。そうは言っても、走ったり投げたりすることや柔道とか剣道とかは自分にはとうてい無理なことですが、学院には弓道部があったので、「まあこれなら自分でも何とか続けられそう」に思いました。丁度15歳の時で、これが80歳になった現在まで永く続く弓道と私の始まりです。

 学院の歴史で言えば、私が入学した昭和31年(1956年)は現在の戸山キャンパスから上石神井に移転した節目の年に当たります。入学試験の合格発表は戸山キャンパス入口の左手の掲示板に貼りだされましたが、1学期が終了して、夏休み明けの2学期からは上石神井に移りました。

 入学した時の弓道場は「甘泉園」(注参照)の木立の中にありましたが、丸太の骨組みに波型トタンを貼っただけの扉も雨戸もない建物でした。そのため、弓の稽古は甘泉園を入ってすぐのところにあった大学の弓道場を使わせてもらい、大学生と一緒にしていました。この道場は昭和29年(1954年)に弓道実技の教場として建てられた立派な施設でした。甘泉園と言えば、木立の奥で雄弁会の発声練習が度々聞こえてきたことを覚えています。(注:現在の「甘泉園」は都電「早稲田」駅近くにある新宿区立の公園。元々は大名屋敷の回遊式庭園で、昭和13年~昭和36年の間は早稲田大学の付属施設であった)

弓道との関わり・弓道の楽しみ

 学院と大学の弓道部での7年間は夢中で取り組みましたが、秋の公式戦の正選手にはなれないままで終わりました。大学を卒業してからの約15年間は弓道とは無縁に過ごしていましたが、関西で勤務していた時、京都や奈良の先輩から熱心に誘われて弓道部を支援するOB会である「稲弓会」(とうきゅうかい)の活動を手伝うことになりました。

 その後、東京に戻ってからは稲弓会の行事もあって再び弓を手にすることになりました。稲弓会では春や年末の行事、夏の合宿、春と秋には慶応や明治とのOBの定期戦もあり、現役の弓道部の試合の応援ですっかり弓に浸る生活に戻りました。また学院の監督からの依頼で学院弓道部の合宿にも10年くらいは手伝いに参加しました。

 自宅からバスと徒歩で20分足らずのところに市立の体育館があり、そこには広く立派な弓道場も備わっています。60歳から80歳の現在まで、私は毎日そこで弓の練習を続けています。月曜日から金曜日は毎日をこの道場で過ごしていますので、1ヶ月20日前後、1年間では200日を超える日常です。周囲を見渡すと年齢にかかわらず膝や腰あるいは肩や肘などに痛みを生じていて意欲はあっても毎日のように弓を引くことが出来ない人も少なくありません。幸いなことに私はどこにも痛みなどがなく、80歳で毎日弓が引けるのは家内の行き届いた健康管理のおかげと感謝しており、頭があがりません。

 弓道は一人で的に向かうものですから、練習の時は相手が要る訳でもなく練習量や時間も本人の体調や都合ですすめることが出来ます。また一般的には弓を引くために強い力が要ると思われ勝ちですが、男子の現役学生が使う強い弓から高齢女性が使う弱いものまで選ぶことが出来るものです。身体に痛みなどがないことに加えて、弓道の持つこのような特性が今日まで続けられる大きな要因だと思います。

  新型コロナウイルスで体育館が閉鎖された時もありましたが、再開後も密集を避けるために弓道場でも利用人数が制限されました。体育館の事務所では利用者の氏名や電話番号を記した利用届を保管するようになりました。一方で、日常生活では前日の夕食メニューを記憶することは脳のために良いと言われています。このことから毎日道場で会った人の名前を記憶することとしました。弓道場では少ない日は20人、多い日は40人を超える人と会います。道場の中でメモするのでは記憶することにはならないので、帰り際に事務所で把握した人数を確認して帰りのバスを待つ時間などで思い出した名前をメモに書いて数えています。すんなりと思いだせることもありますが、聞いてきた人数と合わないこともあります。弓道場の仲間でファックスをやり取りして教えてもらう事もあります。弓を引いて矢を放つことは勿論弓道の楽しみですが、今の私にとっては仲間とのこうしたやりとりも弓道のうれしい出来事です。

 現在はコロナの為に稲弓会の活動も中止ですが、終息してOBの皆さんと会えることを願っています