【恩師の思い出】「福島正秀先生との思い出」 47期 仲 悠一
1996年(平8)卒 47期 仲 悠一 F組 文
福島正秀先生との思い出
今、全国高校サッカー選手権東京大会Bブロック準々決勝「大成VS早大学院」をライブ観戦しながらこの文章を書いている。この試合に勝てば、東京大会ブロックのベスト4である。
・【高校サッカー東京B準々決勝】大成vs早大学院
https://www.youtube.com/watch?v=E_g1ncJ8qoM
強豪相手に先制し前半をリードして終えたものの、後半逆転され1-2での悔しい敗戦となってしまった。ただ、後輩たちは堂々とした戦いぶりで、OBとして誇らしく感じた。
20数年、自分たちも後輩たちと同じように毎日泥だらけになりながら、日々トレーニングに励んでいた。(※今は、学院の北グラウンドは人口芝なので泥だらけなることはないとは思うが)
これは小生の卒業アルバムの写真である。
選手たちが皆、長袖のユニフォームを着用している中、なぜか半袖でさらになぜかイエローカードを手にしている人物が、サッカー部の顧問であり体育科教諭の福島正秀氏である。
先日、8月16日にその福島正秀氏が亡くなったとの訃報が届いた。
学院の退官後、体調が優れないという話は耳にしていたので、心のどこかで覚悟していたことではあったのだが、実際にそうなってみるとまさに「茫然」としてしまい、その日の仕事はほとんど手につかなかった。
福島正秀。
早大学院体育科教諭およびサッカー部顧問を長年務めた人物である。多くの学院生が体育(サッカー)ないしは保健体育の授業で指導を受けたことと思う。
自分はサッカー部に所属していたので、サッカーはもちろんのこといかがわしい外国語講座や、学院の先生にまつわる都市伝説的な話(「〇〇先生は海賊の子孫だ」など)に至るまで数々の指導を受けた。
決して短くはない自分のサッカー人生の中で、もっとも影響を受けた指導者と言っても過言ではなく、サッカーをのぞいた人生全体で見ても、大きな影響を受けた人物の一人であり、まさに恩師と言える人物である(受けた影響の良し悪しはここでは別問題とする)。
先生、俺は学院時代、あなたの指導の下でサッカーができて楽しかったです。
自分の中学は戦術的な指導などがほとんどなく、あまり強いチームでもなかったので、サッカーの戦術的な楽しさや大会(公式戦)で勝つ喜びなどはすべて学院で初めて得たものでした。
サッカーを通じていただいたご指導は、今でも自分の考え方の大きな指針になっています。
先生、俺は今でもサッカーを楽しめています。
大学進学後、ア式蹴球部には進みませんでしたが、サークルや地元の中学のOBチームでサッカーを続けました。先生に声がけをいただく、学院サッカー部のコーチをやらせていただいたことも貴重な経験でした。社会人になってからも会社のチームなどでサッカーを続け、サッカーを通じていろいろな出会いがありました。
40歳手前でアキレス腱断裂の大怪我をしましたが、無事に回復して今でもオーバー40のカテゴリーでサッカーを楽しんでいます。幸せなことにチームには自分と同じく先生の指導を受けた、先輩や同期、後輩もいます。対戦相手に学院サッカー部出身のメンバーがいることもあります。
また、同期の連中とのあつまり、学院時代の話を昨日のことのように、ああでもないこうでもないと話したりもします。
これらはすべて、先生の熱心な指導を受け本気でサッカーに取り組んだあの頃(いわゆる青春)の産物です。
本当にありがとうございました。
また、いつかどこかで一緒にサッカーしましょうね。