【クラス会】「20期G組・最後のクラス会」 20期 吉田重雄

           1969(S44)卒 20期 吉田重雄 G組 経済

20期G組・最後のクラス会

 学院20期は昭和41年(1966年)入学、44年(1969年)卒業、今年3月で卒業して56年が経ちました。時の経つのが早く、世の移り変わりが著しいことを「十年一昔」と言いますが、卒業後10年どころか56年=半世紀以上の年月が過ぎました。

 私たちは今年度中に満75歳を迎え、後期高齢者と言われる年齢になります。健康保険は後期高齢者医療制度になり、運転免許の書替時には認知症検査が必要になります。アナログ時代に育ったため、デジタル・AI時代について行けず、スマホアプリも十分に使いこなせない者が多いようです。

 学院に入学しG組で出会ったクラスメイトは古希を過ぎた今になっても仲良くしています。学部への進学、大学卒業後の就職、結婚等、人生の進路・選択の時期が過ぎて、学院卒業後10年が経った昭和54年(1979年)に第1回クラス会を開催しました。それから昨年までにクラス会は14回開催しました。

 G組のクラス担任は、1年・2年時は小久江満先生(数学)、3年時は田部井正未先生(英語)でしたが、何故か皆は小久江先生が好きでした。小久江先生は定年前に脳血栓を患い右手麻痺・軽い言語障害になりました。そのリハビリ中ながらもG組クラス会には4回参加して頂きました。先生が参加された卒業後32年・38年のクラス会には夫々40名・39名もクラスメイトの大多数が参加しました。その後、先生の体調に鑑み、クラス会の開催場所は先生がお住まいの川越市で、先生が旧知の料亭「山屋」で2回開催しました。卒業47年目のクラス会は先生の米寿祝を兼ね川越まで24名が来ました。先生とG組生徒の絆の強さがわかると思います。

 その小久江先生は昨年(2024年)7月に94歳でお亡くなりになりました。亡くなる2カ月前の5月に先生のご自宅へお邪魔したときはお元気で、「100歳まで頑張って生きる」と仰っていた先生が急逝したとの報を聞いたとき、私は大変驚き、悲しみました。

 G組のクラス会は卒業以来、私一人が万年幹事でやってきました。クラス全員の名簿の作成・改訂、クラス会の日時場所の設営・連絡等、万年幹事はボランティアです。幹事引退は自ら言い出さない限り、クラスメイトは今後もクラス会は続くと思っています。

そこで小久江先生が亡くなったこと、そして後期高齢者を迎える今年を以て最後のクラス会にしようと考えました。最後とする理由にはクラスメイト52名の内10名が鬼籍に入ったこと、また病気治療中の者がいることも知り、そろそろクラス会に区切りをつけようとの思いもありました。平均寿命に届かず亡くなった人、健康寿命を過ぎて健康不安を抱えている人、私自身も労作性狭心症で心臓ペースメーカーを埋込23年が経ち、身体障害者手帳1級を保持しています。今年、4つ目となる心臓ペースメーカー交換入替手術を控え、自らの健康管理の上からもクラス会の幹事を辞める時期を探っていました。

「最後のクラス会」を行うことに関しては、日時・曜日・場所・その他について皆の希望・意見を聴いて決めました。「最後」という言葉が効いたのか、クラスメイトは敏感に反応しました。透析中の人からは透析する曜日を外して欲しい、地方の人からは昼の開催を、また場所は早稲田近辺を望むと。

結局、「最後のクラス会」はG組15回目のクラス会として、5月12日(月)11時に大隈講堂前に集合し、同講堂前と大隈重信候銅像前で記念集合写真を撮り、11時半から「金城庵」2階を貸切りで開催しました。当初29名から参加回答がありましたが、直前に入院等の事情で2名が不参加となり、「最後のクラス会」参加者は27名でした。52名―鬼籍者10名=42名中27名が参加、出席率64%でした。

クラス会の冒頭、私から今回を以て最後のクラス会とする理由を話し、自ら万年幹事を定年退職したい旨を宣言、そして小久江先生と鬼籍に入ったクラスメイトに献杯を行い、クラス会は始まりました。参加者は自らの近況報告を話す際に、万年幹事を務めた私に慰労・感謝の言葉を頂き、クラス会をこれで最後とすることなく続けてほしいとの声が多くあがりました。

そして全員の近況報告が終わったときサプライズが起きました。「G組有志一同」と参加者26名が署名した御礼状と共に私に商品券が贈られたのです。ボランティアで行ってきた私がクラスメイトから謝礼を頂戴するなんてあり得ないと一瞬受取りを躊躇しました。しかし、場の雰囲気と皆からの熱い視線を感じ、皆からの気持ちに感謝し、御礼は有り難く受け取りました。  

そして、皆から強く希望されたクラス会について、毎年行うことは勘弁してもらうも、おまけにあと2回~喜寿(77歳)と傘寿(80歳)のときに、私が元気で生きていれば、クラス会の幹事を務めることを約束しました。

おまけの喜寿と傘寿のクラス会は「生存確認&健康状態報告会」になると思います。そのためには今まで以上に健康管理に留意し、元気な姿で再び会いたいものです。でも、おそらく2年も待てず、個人的或いは少人数のミニクラス会開催要望が出てくると思っています。