【学部生】「何者にもなれなくて何が悪い」 72期 井上拓海 (グリークラブ学生指揮者)

 2021年(令3)卒 72期 井上拓海 F組 政治経済学部3年

「何者にもなれなくて何が悪い」

 さて困った。ひょんなことから早大学院同窓会理事の山口真一さんと知り合い、寄稿の依頼を受けたのが9月の初旬。サークル活動やら就活やらに明け暮れていたらいつの間にか11月。〆切は目前、進捗は皆無。どうしていつもこうなのだろう。こういう時に自らが学院卒であることをしみじみと実感する(学院のせいにするな)。

 はたして何を書いたものか、参考のために過去の寄稿文を片っ端から読み天を仰ぐ。みなさま多彩な社会人経験や今となっては知りえない昔の学院事情を基に、非常に含蓄に富んだ文章を寄せていらした。珍しく同期の名前(72期理事 松崎君)があったと思えば、こちらも学院卒業直後でしか書き得ないような、学院愛に溢れたフレッシュかつ素晴らしい文章……。

 残念ながら彼らのような寄稿文は書けそうにないが、私は私なりに自身の学院生活を振り返るとともに、サークルの責任者や北京大ダブルディグリー留学などに挑戦してきた大学生活を経て感じた「学院での自由を享受すること」について想いを巡らせてみたい。

 また、この文章は突出した何かがあるわけではない(しかし色々もがいてきた)自分自身を内省するものである。せっかく自由な環境を得たはいいものの何をすればいいか分からず、優秀な同期の活躍を見てそこはかとない焦燥感を覚えている現役学院生の方がいたらぜひ一読してみてほしい。もちろん既に素晴らしいご活躍をされている方々も大歓迎だ。

▲相沢先生の授業の様子(学院祭公式YouTubeチャンネル「[第70回学院祭]模擬授業 相沢先生」より引用: https://youtu.be/9C8kqiLqnP4?si=Afn8VBg137CabGQN)

学院での何とも言えない日々
「早大学院は、非常に優秀な学生を集めて三年間(あるいはそれ以上)の自由を与え、一握りの天才と大多数の凡人を輩出する学校です。井上君は凡人側に回らないよう、学院という環境をフルで活かして頑張ってください」

 これは私が学院に入学して間もない一年生の夏ごろ、とある先生に面と向かって言われた言葉だ。思えばこの言葉を信じ込み「この三年間で何かを成し遂げなければならない。何者かにならなければならない」と勘違いしてしまったのが、学院で味わった苦汁、そして今の私の経歴につながる根本原因だったのだと思う。

 学院での授業はとても面白かった。国語科:相沢先生(カントの二律背反、クオリアなどについて学び、それらに基づいた独自の視点で現代文学や映画作品を読み解く)、英語科:奥井先生(授業は精読メイン。「健全な議論のためにはまず相手の主張を余すことなく理解する必要がある。だから言語の鍛錬が必要なのだ」という言葉が印象に残っている)、中国語科の先生方(授業中の先生の様子がなんか見ていて面白い)の授業などは今でも大切な思い出だ。しかし、「何かを成し遂げなければ」と強く感じていた私にとって、日々の授業をただ受けているだけでいいのかという焦燥感は常にふつふつと存在していた。

 早大学院は良くも悪くも時の流れがゆったりとした学校だ。一部他校の「限られた時間の中で青春を謳歌しよう!」「何が何でも勉強!」などの学校全体を取り巻く雰囲気といったようなものはどこにもなく、生徒も教員も各々好きな時間を生きている。そのため、ある日誰かが難関資格を取っていたり、学院祭のテーマソングを一から作ってしまったり…と、ふとした時に他の生徒が多分野で活躍していく。これといった目標もなければ特定の努力もしていなかった私は、漫然と過ごす中で不定期に訪れる自身の生活の“答え合わせ”の時間が少しだけ窮屈だったのを覚えている(彼らも自分と同じくただ自由を享受しているだけなのに)。

 そんな中、私は2年生にしてようやく留学と部活の二つに打ち込むという目標を定める。外部の留学団体に申し込み、翌年のアメリカ留学を決めた。また所属していたグリークラブ(男声合唱部)でも部長に選んでいただいた。これで高校生活を充実させてやる、そう意気込んでいたのも束の間、コロナ禍が到来した。留学プログラムは即中止。グリーの活動も飛沫やらなんやらの事情で九割方制限された。不幸ながらもコロナで真っ先に規制された留学、合唱の二軸で高校生活を充実させようと考えていた私はまさに抜け殻のようになってしまい、思い描いていたものとはかけ離れた生活を強いられながら卒業の時を迎えたのである。

 正直に言ってしまえば、学院卒業時に感じたのは「自分はこの先二度とないであろう自由な三年間を与えられたのに、ただ徒に毎日を浪費するだけだったな」という自身やその将来に対する緩やかな諦観と、コロナ禍に直面しても柔軟に対応し充実した生活を送っていた同期たちへの強烈な羨望であった。当時の私にとって、学院での三年間は挫折にすら至れない、苦い日々の連続に他ならなかったのである。

▲早稲田大学グリークラブの定期演奏会の様子

学院生活のリベンジとしての大学生活
 そんな学院時代の過去を胸に、あのような思いは二度と繰り返すまいと決心しつつ大学生活に臨んだ。その過程で苦い思い出だと思い込んでいた学院での日々が結実しはじめる。大学でも引き続きグリークラブに入団した私は、高校時代からコツコツと練習を続けていたのが功を奏してか下級生のうちからソロをたくさん任せていただいた。そのうえ充実した機会のおかげで更に合唱にはまり、現在は音楽方面の責任者である学生指揮者にまでなってしまった次第だ。授業では学院でしこたま鍛えられたレポート執筆能力とプレゼン能力で教授に一目置いてもらえたり、ゆるゆると続けていた中国語のおかげで二外の授業も二年分飛び級して上級から履修したりすることができた。

 学院時代から夢見ていた留学に関しては、アメリカではなく学院中国語科の先生方から強く勧めてもらっていた北京大学ダブルディグリープログラムへ出願した。その際も何らかの中国的背景を持っているか、大学で中国語を始めてからずっとそれに専念していないと一年秋の出願に間に合わないような規格を最初から既に満たすことができていたのである(そのせいか14人の参加者で私含め4人も学院卒がいた)。また学院に通っていなければ知り合うことすらなかった、雲の上のような存在である同期たちに囲まれながら留学生活を送ることで、勉学面はもちろん人間的にも数段成長できた。

 さらに何よりも役に立ったのは相沢先生や奥井先生の授業を通して得られた、巷にあふれる情報や他者の意見とどう向き合えばいいかというポリシーだ。これがなければ自身がどのような人格に育ち、どのように他者と接するようになっていたのか想像すらできない。それほどまでにこの考えは自らの深層にまで根付いていた。

 完全に失敗だったと考えていた学院でのあのだらっとした毎日は、知らず知らずのうちに自身の血肉となっていた。そしてそれは卒業後になってようやく結実したのだ。このことに気づいたとき、私は初めて自身の学院生活を少しだけ肯定することができるようになったのである。

▲北京大学の学位授与式の様子

早大学院を卒業した、一個人として今思うこと
 学院での自由な三年間をどう使うか、学院生の永遠のテーマである。好きなことに打ち込んで学院在学中に結果を出す人も確かに存在する。しかし、私のように在学中に何も成し遂げられなくとも、卒業後に突然様々なことが実を結ぶ場合もあるのだ。なんなら私自身が気づいていないような恩恵も、これからずっと先の未来で結実するような事柄もたくさんあるのだろう。

「早大学院は一握りの天才と大多数の凡人を輩出する学校です」、この言葉に悩まされ続けた数年間であった。しかし今は、確かな自信を持ってこう言える。

「何者にもなれなくて何が悪い」

 人には人の自由があり、どう使おうが他人がその価値を推し量ることなどできやしない。学院時代も、大学時代も、そしてこれから先の生活も、全て自分のペースでいけばいいのだ。「本当に何もできなかった」「大失敗だ」と思うような過去ですら、案外その先の人生で思わぬ形で活きてきたりもする。まずは気負わず、好きなように自身の人生を享受すればよいのではないか。私もこのマインドを忘れずに、現在の就職活動や今後の社会人生活を乗り越えていく所存だ。

 まだまだ道の途中にいる早大学院の後輩たちが、自身にとってよりよい未来を描いていけることを祈念して、また、自分も数々のご経験を重ねた諸先輩方に続くのだという決意表明とともに、この寄稿文を締めくくりたい。