【思い出】「私は学院生」 33期 今野淳一 (桐朋女子中・高等学校 校長)

 

1982(昭和57年)卒 33期 今野淳一 E組 理工

桐朋女子中・高等学校 校長

私は学院生

 学院OBの皆さま、そして教職員の皆さま、昭和57年3月卒業、33期の今野淳一と申します。今回、2022年9月29日にこの欄を執筆された梅津先生からご紹介いただき、小文を掲載させていただきます。

 私は調布にある、桐朋女子中・高等学校という私立の学校で校長を務めております。都内の私立中高は東京私立中学高等学校協会という協会に属しており、更にその所在地により12の支部のいずれかに属しています。その支部ごとにほぼ2カ月に一度の割合で会議や大会を行い、連携を深めています。桐朋女子は第3支部に属しておりますが、実は学院も同じ第3支部です。私はその会議に10年以上参加しており、学院長や事務長が定期的に交代される度に名刺を持って挨拶にいき、私も学院生なんですと声を張って話す自分に驚いています。私の勤務校の卒業生同士が会うと、たとえ面識がなくても話が弾むとよく聞きます。同じことを私も身をもって体感しております。これも、学院時代にいい思い出が残っているからでしょう。大学卒業後、改めて別の大学に改めて入学して勉強し直した結果、母校の大学を複数持つ人もいます。一方、高校で母校と言える学校は一校であることがほとんどでしょう。その高校として学院と縁があったこと、そして学院でいい思い出がたくさんできたことを誰に感謝すればよいのか…。

 私は叔父が学院卒業生で、学院の存在は幼少時より耳にしておりました。叔父もよい思い出があったからこそ、話題にしたのでしょう。高校受験の際、受けるの?と聞かれたとき、曖昧な返事をしたように覚えています。都内でも屈指の難関校である学院に受かる自信など全くなく、落ちたと報告するのが恥ずかしかったので、受かったら報告しよう程度に考えておりました。合格後、どのように報告したか覚えておりませんが、喜んでくれたように思います。学院の担任の先生は福島先生でした。このメルマガの2021年12月2日の記事で紹介されているように、福島先生は亡くなられました。訃報は第3支部の先生からお聞きしました。そのメルマガでも紹介されているように福島先生は当時狭山に住んでおられ、実は私も狭山に住んでいて、しかも福島先生の自宅と1kmも離れていない距離でした。入学式のあとのホームルーム(学活という名前だったかもしれません…)で「今野!」と呼ばれ、「俺んちはこの辺だ。遊びに来いよ」と言われたことをよく覚えております。しかもクラスのPTAの役員をうちの母親に頼んできました。「俺の自宅に近い人と学校に近い人にお願いした」という筋が通っていそうな、いなさそうな理由でした。その後、私が教員として今の学校でしばらく勤務し、教え子の結婚式に呼ばれた際、新郎が学院出身、しかもサッカー部と聞き、福島先生で盛り上がったことがあります。

 このメルマガをお書きになっている栗山先生、柳谷先生にも習いました。2022年9月29日にこの欄を執筆された梅津先生がお書きになっている杉山先生にも習いました。英語の本間先生、野中先生、化学の小野裕次郎先生、数学の小久江先生、藤沢先生、作文の伊藤助松先生、ドイツ語の小西先生、伴先生、倫理の富田先生、地学の石井先生、現国の岡本先生、これらの先生方のお名前は、何も見ないで思い出すことができます。もう40年以上前のことですが、記憶に色濃く残っています。学院当時のノートも、数冊残しています。3年生の最初の学活の日に風邪をひいて休み、翌日登校したら欠席裁判で学級委員になっていました。それが本当に嫌で嫌で仕方なく、実際、すべてが下手くそでした。そんな自分が今、校長を務めていると聞いたら、福島先生も驚かれることでしょう。

 学院で私は、自分らしくいることができたのだろうと思います。部活は最初は入っていましたが1年生の夏で退部してしまい、それっきりどこにも所属しませんでした。勉強についていくのが大変だという先入観があったのもその背景の一つです。部活の思い出はありませんし、私が在学していた当時は、宿泊行事も体育祭もありませんでした。それでも学院には、楽しい思い出があふれています。それは、特に肩ひじ張らずに生活できていたからだと思います。

 教員になって35年以上経ちます。時々学院出身の先生に遭遇すると、初対面であっても旧来の友人に出会ったような喜びにあふれます。桐朋学園大学の学長を務めていた梅津先生が学院出身だとわかったときの喜びは、一入でした。こんな身近に学院生がいるなんて…と驚きました。以前学院長を務めていた山西先生のご紹介で、在日中国大使館が主催する「高校生親善訪中研修」に本校も加えていただいています。学院生の縁は広がります。そしてその根底には、卒業生の中に学院愛があふれているのだろうと思います。普段は自覚しないものの、奥底に流れている学院愛。私は第3支部定例会で学院の先生に会うと、つい笑顔になります。私の人生において学院と縁があったことに感謝しつつ、学院がこれからも多くの方に支持してもらえる存在であり続けて欲しいと願います。