【OB紹介】 「育ててくれた『北側グランド』」 29期 杉澤直樹 (サッカー部)

 1978(S53)卒 29期 I組 杉澤直樹 商

 

育ててくれた「北側グランド」

 

 昭和53年3月に卒業後、上石神井キャンパスを訪れるチャンスはまったくありませんでしたが、2年前、40年ぶりにサッカー部のOB総会で学院を訪れることになりました。新青梅街道沿いに校門ができ、昔と若干趣を異にし、アプローチを進むと中等部校舎が出迎えてくれました。懐かしさとともに、時代相応の変化を改めて感じたエントリーでした。

北側グランドを駆ける!

 校舎北側グランドに向かうと、目にも鮮やかな人工芝グランドが青々と輝き、現役生徒さん達の大きな声が轟いていたのが印象的でした。超OBとして参加しましたが、あっという間に心は学院生に戻り、当時を思い起こしながら懸命にボールを追い掛けていました。在校当時は、テスト期間を除き1年中走り回ったグランドの変貌に驚くとともにとても快適な時間を過ごすことができました。

 我々の高校時代は昭和の高度成長の真っ盛りであり、3年間の想い出というと昭和の時代の運動部らしく「厳しく、苦しい練習」に耐え、「試合に勝った時の達成感」を追い求めて、ただただ前を向いて突っ走っていた記憶であふれています。こうした想い出を今でも残しているのがまさに今立っているこの「高等学院北側グランド」なんだと感慨にふけりました。思い起こすと、還暦を迎えた今でも同僚と元気に走り回れるのも、北側グランドでの精進のお陰と感謝の気持ちが前面に出てきます。

 

学院同期メンバーと体育館前で(当時)

早大サッカー部OB会長に

 

 当時(昭和52年)のサッカー部は、河野宥部長、福島正秀監督のご指導を仰ぎ、同じ練馬区の石神井高校、大泉高校、井草高校などが好敵手であり、泥まみれになりながらレベルアップを目指しました。3年間を通じて一人ひとりが成長し、東京都大会ベスト8の成績を残せたことは素晴らしい成果であったと思い出します。一方で、全国大会出場常連の帝京高校(当時高校日本一)や国学院久我山高校には、残念ながらまったく歯が立ちませんでした。学院内運動部で周りを見渡すと「ラグビー部」は強豪・国学院久我山高校を破り全国大会(花園)へ初出場、今では常勝の「アメフト部」も強豪・日大三高を破り全国大会初出場と「蹴球部勢花盛り」の年でもありました。

 

早稲田・東伏見グランド

 私は、高校サッカーでは燃焼しきれなかったせいか、学部の体育会サッカー部に入り、東伏見グランドで更に4年間競技を継続することになりました。大学生時代は、当時全国から優れた輝かしい実績を持つ選手が集まってきたこともあり、ようやくラグビー、アメフト同様、全国大会での優勝の栄冠を手にすることができました。還暦を迎えた今シーズンから、早稲田大学サッカー部のOB会長も拝命し、「今日的な学生スポーツの在り方」を追い求め、「社会貢献・地域貢献」、「人材(人間力)育成」、「社会への人材輩出」などをテーマに掲げて、学生さんたちと対話しています。最近の学生スポーツも多様化してきており、神宮球場・箱根駅伝・秩父宮ラグビー場を見ても、それぞれ「伝統の継承」と「今日的な変革への挑戦」が感じられます。

 

 学院北側グランドで身につけた先輩方からのご指導を、今の学生さんたちに少しでもお伝えするとともに、新たな時代に向かって挑戦していく気持ちを育くんでいきたいと強く思っています。

<昭和53年卒業 商学部 元東京海上日動火災保険・常務執行役員 杉澤直樹>

早稲田・超OBチーム(現在)

中央が筆者