【恩師】 故・松尾毅先生からのメッセージ「1982年卒B組へ」 33期理事 山口真一

1982(S57)卒 33期理事 B組 山口真一 経済

 

 故・松尾毅先生からのメッセージ「1982年卒B組 へ」

2008年(北京五輪) 松尾先生を囲んで

松尾先生へ

 2回目の東京五輪が開催されるはずだった今年は、先生を偲びながら五輪イヤー恒例のB組クラス会をやろうとみなで連絡をとりあっていたのですが、コロナウイルスの影響で世界が一変してしまいました。

 1964年の前回五輪イヤーは我々は生まれたてで思い出はありませんが、学院時代にモスクワ大会ボイコットがあったことは鮮明に覚えています。この4年ごとの五輪のおかげでみなそれぞれ忙しいなかでも先生を囲むクラス会を続けることができた気がしますが、残念ながら今回は延期となるかも知れません。

 大変な時代の変わり目に直面していますが、先の緊急事態宣言の期間に断捨離をしながら卒業文集を読み返すことができたのは勿怪の幸いでした。学院を卒業して38年の月日が流れ、50歳後半になった今だからこそでしょう、当時の先生からのメッセージがストンと腑に落ちた感じがしました。と同時に、教員室で音楽やスポーツ、社会問題や進路の話などを聞いていただいたこと、ご自宅でお好きな海外旅行や美術(美しいもの)の話しを伺ったこと、この上なく嬉しそうな表情で2人のご子息の博士号取得を喜んでおられていたことなどを思い出した次第です。

 あらためて先生に心より感謝申し上げます。ありがとうございました。このメールマガジンの場を借りて先生からのエールを同窓に紹介させていただき、そして、これからも末永くB組クラス会を続けたいと思います。

 

 故・松尾毅先生からのメッセージ「1982年卒B組 へ」(卒業文集より)

 伊藤助松先生から卒業文集にメッセージを寄せてほしいという依頼があり筆をとりました。

 皆さん、卒業おめでとう。長くも短くも感じる三年間でした。入学時の可愛い少年が心身共に立派に成長し、全員揃って進学できたことを心から嬉しく思っております。

1982(昭和57)年 中央が恩師・松尾先生

     B組は、素晴らしい性格の人ばかりで気持ちの良いクラスでした。これからもお互いの友情を大事にしてください。

 4月からは本番の大学生活ですね。4年間の貴重な時間を大切にしてほしい。時間だけは誰にも全く公平に与えられていますが、それをどう生かし、何をするかによって諸君の将来が変わると思うのです。学部学科がどこということは、それ程大きな問題ではなく、自ら学ぶという考えを新たにして大きな飛躍に備えて豊かな基礎作りをして欲しいと思います。

 むかし、目が見えず耳が聞こえず話しことばが話せないという三重苦をもったヘレン・ケラー女史が、その困苦を精神力と努力で克服して多方面で活躍した話は聞いておりましたが、先ごろ身近な日本でもサリドマイド薬害のこずえさんと言いましたか、その人の映像記録や市役所の電話交換手に就職したことなどが放映されていました。画面では明るい顔をしておりましたが、これまでどれほどの苦しみを味わってきたかと目頭が熱くなりました。その苦しみに耐えて一生懸命生きる努力に深い感動を与えられたのは私だけではないでしょう。五体満足のお前は何をしたかと言われているような気持ちになりました。

 諸君はあまりにも体も能力にも恵まれています。これからの大学、社会へと人生を歩む道で困難なこと、面白くないことに直面することが多いでしょう。学問の道でもつまらないと思いながらも基礎的なことを少しずつ積み重ねていくより道はなく、その平凡な道を歩む、そのことに非凡でなければならない。アセラズ、アキラメズ、アテニセズ、困難を乗り越えて必ずや花開くことがあることを信じて頑張ってほしい。

 人生至る所に青山ありという言葉があるように、私は「自分が現在おかれている場において、一生懸命最善を尽くして生きること」が最も大事なことで、それによって道は自ずから開けると常に考えているのです。

 昨年、マザー・テレサが来日しました。この人こそがノーベル平和賞に値する人だと畏敬の念を持ちました。彼女はゆたかな先進国の責任は?との問いに対して、実例をあげてから「富の中から分かち合うのではなく、ないものを分かち合うことが大切」と即答しました。それはまさに絶対的な自己犠牲の愛で、彼女はそれを実行しています。そこに神を見る思いでした。また、「美しい国、日本に飢えた人はいないかも知れない。でも精神的な貧しさに苦しんでいる人はいないだろうか、人の心の中にさびしさや孤独はないだろうか」と問いかけ、講演会のあとで、花束を渡した子供たちに「父母に感謝しなさい、兄弟を愛しなさい、友達を愛しなさい、大きくなったら、あなたたちを必要とする人々に尽くしなさい」と言っていました。

 どうか諸君には自分の一生の間に他人を一人でも二人でも自分の力で幸せにしてあげるという愛の心を持ち合わせてほしいと思うのです。月へ人間を送ることのできる叡智をもった人間なのに、どうして平和を守るためといって核軍備に莫大な金を費やし、地球上の不幸な人を救うことができないのでしょうか。

 二十年、三十年後、諸君の時代は現在よりよくなるとは考えられません。その時こそ指導的立場にある諸君の叡智が世界を救うための役立つであろうことを祈願しております。体を大切にして充実した人生を胸を張って生きられんこと祈っています。

 卒業式を明後日に控えて望み多き親愛なる後輩へ。

1982年3月18日 松尾毅

(伊藤助松先生からのメッセージ)

巣立つ若木へ

“出合い”  私はそれを大切にしたい。

若木よ、たとえ雨に打たれ嵐に叩かれようとも一途に大空を望み伸びよ。

                                 1982年3月20日 伊藤助松