【思い出】 「学院はすべての原点であります」 29期 寺林 勉

1978(昭和53)年卒 29期 寺林 努 経済

 

「学院はすべての原点であります」  

 書き出しから、大変申し訳ないのですが、実は学院の同窓会の存在を還暦過ぎるまで知りませんでした。大変申し訳ありません。この同窓会の存在は学院同級生の杉澤君から教えてもらいました。彼とは、学院、大学、会社と同じで、色々なところでお世話になっている同級生です。彼はサッカー、私はラグビーに熱中し、お互い良い意味で刺激をしあってきました。そんな彼から紹介してもらい、拙文で大変恐縮ですが、投稿させていただきます。

 還暦を過ぎて思いますが、学院こそが自分の人生の原点であったと強く思います。高校受験でどこへ行こうか迷っているとき、通学に一番時間のかかる学院を選択した自分の決断は我が人生で二番目に正しいものであったと思います(ちなみに一番正しいと思う決断は女房と結婚したことです。皆さんまったく興味ありませんよね?)。実際、一時間半の通学時間は大変でしたが、学院を選び本当によかったと思っています。 上石神井の駅を降り、キャベツ畑を右手に見ながら、まるで歩行者天国のように道いっぱいに広がる学院生を、大きなバスが見事によけながら通っていく毎朝の通学風景。いまさらながらよく交通事故が起こらなかったものだと思います。

 中学まではまさに親が引いてくれた線路の上を、落っこちないようにと過ごしてきたのが、学院に入ると、従来とはまったく異なり、すべてを自分で決めて自分で行動する。ここから、「自由とはすべて自分の責任である」という人生で最も大切なことを自然に体感させ、知らず知らずのうちに身についていったものと思います。 髪の毛、服装、クラブ活動も自由で、先生方も学院生を大人として扱ってくれていた。こんな学院は、時間を自分の好きなことに集中できる大変貴重で非常に素晴らしい環境でした。学院時代にはわかりませんでしたが、今還暦を超えてこうして思うと、本当に学院の3年間が自分の原点で あり、礎を作ってくれたものと思います。

ラグビー部へ入部

 クラブ活動ではラグビーを選択し、これは人生で3番目に正しい決断であったと思っております。それまでは、ラグビーなど何も知らず、実は、大きな勘違いから入部してしまったのです。高校の受験勉強中、何気なくテレビを見るとラグビーをやっており、これが早稲田大学と近鉄のラグビー日本選手権でした。巨漢ぞろいで、日本代表をそろえる近鉄に対し、小さな早稲田大学が、スピードと展開で大接戦となった試合です。ルールもわからず、受験勉強中でしたが、テレビで見ていて、何となく面白そうだなという程度の印象しかありませんでした。

 そして学院に入りクラブ活動はどうしようかと思っていたところ、ラグビー部の練習見学会に参加しました。実は、この練習を見ていて何となく「気持ちよさそうだな」と、大きな勘違いをしてしまったのです。ラグビーの練習が気持ちよいなどということはありえず(後から知ったことですが)、この時は、先輩方が新入生をラグビー部に入れるために気持ちよさそうに、練習していただけなのでした。そんなこととは知らずに、15歳の純真な高校1年生は、見事な勘違いによりラグビー部に入部してしまったのです。

  この大きな勘違いは後にすぐに大きな後悔となりました。学院ラグビー部の本格的な練習は痛くて厳しいものでした。昼休みが終わり、5時間目、6時間目になると厳しい練習へのプレッシャーがどんどん強くなり、心臓がバクバクしてくるのを今でも覚えております。6時間目などは、「授業が、このまま終わるな!!!」と毎日のように思っていました。こんな日々の繰り返しでしたが、学院の自由な環境が自然と自分に「責任」というものを教えてくれたと思います。3年時には、本気で全国大会に行くぞと思い、昼休みにラグビー部全員が、学院の鉄棒で、毎日50回の懸垂を繰り返しました。その後もラグビーを続けましたが、還暦を迎え改めて振り返ると、自由の中で責任を自覚させる素晴らしい学院の環境は、私の人生の原点であったとつくづく思います。

第57回ラグビーフォットボール全国大会

 今回、学院同窓会にこのような文を載せさせていただくご縁に感謝するとともに、素晴らしい学院が永遠に学院であり続け、世の中を正しい方向に引っ張っていくたくさんの人材を輩出してくことを願います。また、微力ではありますが、少しでも学院に恩返しができればと考えております。大変拙文で恐縮ですが、投稿させていただきます。最後までお読みいただき、ありがとうございました。